メッセージ
★New!NPO法人人力エネルギー研究所川田恭子日本画展開催中(3.31-4.22)
水上に浮かび上がるアロワナの尾が銀色に輝く大作 2004年日展特選「煌めき」の前で
「竜宮の使い」をモデルとした作品「神迎」と足踏みによる人力発電とのコラボ
いずれも、富士河口湖町船津のNPO法人人力エネルギー研究所「発電芸術館」で。
★平成29年度聖徳大学SOA第Ⅲ期講座「哲学サロン」ー『遠野物語』を読むーは、全10回が終了しました。3月20日第10回の受講生談義報告は、しばらく後になりますので、いましばらくお待ちください。
『遠野物語』は、遠野地方に伝わる民話・伝承を柳田国男(写真)がまとめた日本民俗学の古典です。
柳田国男
『遠野物語』朗読 序文
参考にお聴きください。

平成29年度第Ⅲ期講座
「哲学サロン」―『遠野物語』を読む
岩手県遠野市周辺の「遠野郷」は、山の神、山女、雪女、天狗、河童、ザシキワラシ…など、いまなお語り継がれている民間信仰や異聞怪談の数々に満ちています。柳田国男はその話を採集し、綴って『遠野物語』としてまとめました。「日本民俗学」の誕生を告げる名著『遠野物語』(新潮文庫)を講読し、そこから何が読み取れるか、皆さんと自由にお話をいたしましょう。

1、こんな話を聞いて誰かに話したがらない人などいない
2、河童は水神の成れの果て?
3、『遠野物語』の事実性と小説性ー三島由紀夫の遠野論

4、井上ひさしの『新釈 遠野物語』考
5、神々へと繋がる神秘体験
6、怪談としての遠野物語
7、『山の人生』VS『奥美濃よもやま話』「新四郎さ」
8、自由往来する魂
9、「姥捨て」の哲学―デンデラ野考
★New!10、柳田国男-そのいろいろな顔

★平成29年度聖徳大学SOA第Ⅲ期講座「アートファクタリー」ーアントニ・ガウディとは誰のことかーは、都合により2月16日(金)に全五回で終了しました。


1、ワーグナーを織り込む
2、外尾悦郎を織り込む
3、ダリを織り込む
4、岡本太郎を織り込む
★New!5、ガウディの見ていたものー田中裕也を織り込む
フィンカ・グエル(グエル別邸)


★平成29年度聖徳大学SOA第Ⅲ期講座「哲学サロン」ーベルクソンを読むー
講座概要
『創造的進化』で知られるフランスの哲学者ベルクソン(写真右)は、漸進的でなく飛躍的に変化する生命体進化の概念「エラン・ヴィタル」(生命の飛躍)をとなえました。新渡戸稲造は、この考え方に禅の境地と通じる世界を見出しています。『失われた時を求めて』のプルーストはベルクソンの縁戚にあたり、「時間」や「記憶」の考え方にこの哲学者の影響を受けたとも言われています。私たちの心に潜む「道徳(モラル)感」と「宗教感」の源を、ベルグソンの著作を通じて探索していくことにいたしましょう。
アンリ・ベルクソン(1859-1941)
フランスの哲学者 1927年ノーベル文学賞
著書:『時間と自由』(1889)『物質と記憶』(1896)『笑い』(1900)『創造的進化』(1907)『精神のエネルギー』(1919)『持続と同時性』(1922:アインシュタインの相対論への反論)『道徳と宗教の二源泉』(1932)
分割が不可能な意識の流れを「持続」と呼び、この意識を生命全体から宇宙全体へと拡張し、これを生命の進化を推し進める根源的な力とし、生命はダーウィン的な連続的な進化ではなく、この根源力の発露によって、飛躍・不連続な進化を遂げてきた、と説いた。
1922年、国際連盟の諮問機関として設立された国際知的協力委員会の委員に任命され、当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造(写真左)と交流があった。神秘主義的な色彩をもつことから、霊的な現象にも興味をもち、英国神霊研究協会の会長を務めたこともある。
1、「思い入れ」のドイツ哲学、「思いつき」のフランス哲学
2、ベルクソンと新渡戸稲造
3、知性平面で分けられた二つの世界
4、宗教は知性の壁を打ち破る
5、偶然、必然、それとも…腕のいい料理人
6、「無」は「偽―観念」である
7、生命は終わりなき道を歩くーシン・ゴジラはエラン・ヴィタルの申し子か

8、神は自らを愛する存在として人間を創った
9、複雑化と単純化-人間はどちらに向かうのか
10、「無」という幻影を吹き飛ばせ
★平成29年度聖徳大学SOA第Ⅰ期講座「テクネーの哲学」 ―レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説ーは終了しました。
講座概要
「モナ・リザ」や「最後の晩餐」で名高いレオナルド・ダ・ヴィンチは、科学と技術を駆使した数々の発明でも知られる「万能の人」でした。「真理」探究(科学)と「美」の追求(芸術)の双方にノーベル賞を設けたら、両方をもらう資格があるのは唯一ダ・ヴィンチぐらいだろう、と言った人がいます。最晩年のダ・ヴィンチをフランスに招いて重用したフランソワ一世は「彼は偉大な哲学者でもあった」と賞賛し、彼の話を聞くことに大きな喜びを見出していました。ダ・ヴィンチ自身による『手記』やダ・ヴィンチ賛美者ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』、さらには、独特なダ・ヴィンチ解読から「生きる」ことの意味を体感させる建築を展開した荒川修作の作品などを重ね合わせながら、レオナルド・ダ・ヴィンチを肴に「神とは何か」や「人間とは何か」などの哲学的問題について、皆さんとワイワイしゃべり合いましょう。
1、ダ・ヴィンチにおける「人間」の問題
2、哲学者は「魔術者」それとも「手品師」?
3、宇宙と「無限」、人間と「無限」
4、「普遍の探求者」―ソクラテスとしてのダ・ヴィンチ

5、ダ・ヴィンチにとっての「人間」
チェリーニ作「メデューサの頭を掲げるペルセウス」
6、ダ・ヴィンチにとっての「私」
養老天命反転地
7、ダ・ヴィンチにとっての「数学」
8、ダ・ヴィンチにおける「哲学」の問題
9、ダ・ヴィンチにおける「死」の問題
10、ダ・ヴィンチにおける「可能性 」の問題
★平成29年度聖徳大学SOA第Ⅰ期講座「アート・ファクトリー」―ミケランジェロwithモーツァルトーは終了しました。
講座概要
35歳でなくなったモーツァルトがたとえられるのは、ミケランジェロではなく同じく若くして亡くなったラファエロ(37歳)ですね。『ミケランジェロの生涯』を著したロマン・ロランが傾倒したのはベートーベンでした。ミケランジェロとモーツァルトにあえて共通項を見つけるとすれば、さて何でしょうか。ミケランジェロを楽しみながら、モーツァルトに耳を傾けるこのマッチング、どちらが「刺身」でどちらが「主食」なのか、決めるのは「あなた自身」です。
[テクスト]
ジョルジョ・ヴァザーリ『芸術家列伝』(田中英道・森雅彦訳、白水ブックス)
アスカニオ・コンディヴィ『ミケランジェロ伝』(高田博厚訳、岩崎美術社)
『ミケランジェロの手紙』(杉浦明平訳、岩波書店)
ロマン・ロラン『ミケランジェロの生涯』(高田博厚訳、岩波文庫)
フィリップ・ウイルキンソン『ミケランジェロ』(大岡亜紀訳、BL出版)
ピエル・ルイジ・デ・ヴェッキ『画家ミケランジェロ』(森田義之訳、岩崎美術社)
フレデリック・ハート『ミケランジェロ』(大島清次訳、美術出版社)
フレデリック・ハート『世界の巨匠シリーズMichelangelo-the complete sculpture』
(久保尋二訳、美術出版社)
キャロル・リード監督『華麗なる激情』(20世紀フォックス映画:1965年)

スペインのカタルーニア音楽堂(バルセロナにあるコンサートホール)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%A0%82
で行われた John Eliot Gardiner指揮による
モーツァルトの『レクイエム』ニ短調 k626
https://www.youtube.com/watch?v=q5Y2B55nKZY&t=98s
をバックに、ミケランジェロを味わっていくことにします。
ローマ・ヴァチカンのシスティナ礼拝堂
1、『天地創造』
Mozart レクイエム ニ短調 k626 Introitus(入祭唱)とともに
2、『バッカス』
Mozart レクイエム ニ短調 k626 Kyrie(キリエ)とともに
3、『ダヴィデ』:音楽 レクイエム Dies ire(怒りの日)


5、『ピエタ』ミケランジェロの愛 Recordare(思い出したまえ)
6、『最後の審判』:Tuba mirum(奇しきラッパの響き)

7、『モーゼ』:Rex tremendae(恐るべき御陵威の王)
9、『昼』『夜』『曙』『夕』
8、鳥井俊之&坂本真理&宮部小牧 トーク&コンサート
10、『勝利』:Lacrimosa(涙の日)

富士河口湖町まちかどミュージアム
★別に本物でなくても、小粋な喫茶店でピカソのニワトリと出会う幸せ
初夏の爽やかコンサートin軽井沢モーツァルトハウス 2016.7.8
”開けゴマ” ムージカ・エマセネポーの皆さんの登場です。
Mozart House in 軽井沢 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tk-2406/top.html
photo by しあわせ珈琲・紅茶倶楽部
特別トーク:食と紅茶のマリアージュ
★平成28年度第Ⅰ期講座 音楽サロン「モーツァルトの食卓Ⅰ」-音の饗宴「シンフォニー」ー5月13日(金)から7月1日(金)ーは、全8回の予定を無事終了しました。
1、「主流」と「古楽器派」:ハ長調41番《ジュピター》の饗宴 2016.5.13
2、クラリネット・アンサンブル ドリー・フォンティネン特別演奏会 2016.5.20
3、ロンドン郊外で初めての交響曲を書く 2016.5.27
5、フルトヴェングラーかカラヤンかー40番の饗宴 2016.6.10
7、疾風怒濤か怒りの炎か 25番ト短調k.183 2016.6.24
8、終宴 ジュピター菓子の味わい 2016.7.1
★平成28年度第Ⅰ期講座「テクネーの哲学Ⅰ」-プラトンのミメーシス-は、5月10日(火)から7月19日(火)の全10回(6月14日は休講)の予定を無事終了しました。
1、ノーベル賞になぜ「技術賞」がないのか 2016.5.10
2、野村萬歳VS近藤良平:ミメーシス(真似)をめぐる対話 2016.5.17
3、AIは哲学することができるか 2016.5.24
4、人間国宝・梅若玄祥、古代ギリシアの神殿で舞う 2016.5.31
5、創造主とは誰のことか 2016.6.7
6、何を真似するのか、何が真似されるのか 2016.6.21
7、技術のSingularity (特異点)は、人類にとって吉か凶か 2016.6.28
8、「カイロス」がもたらすものとは何か 2016.7.5
9、弁論術VS哲学的問答法 2016.7.12
10、「他力」の美、「不自由」の美 2016.7.19

new★この凄い、オオカミが主人公の映画を観ましたか。
是非、観てください。
「神なるオオカミ」予告編 https://www.youtube.com/watch?v=OIIlJVZ71_I
★フリーエンジニアの石川雅章(TREEWARE 技術支援)さん
http://treeware.jp-help.net
が、アメリカのイエローストーン国立公園で、オオカミが生態系を取り戻した素晴らしい話を教えてくれました。
オオカミを放った国立公園で、20年後に「すごいこと」が起こった
http://tabi-labo.com/50052/wolves-change-rivers/
鹿が増えすぎて困っていた国立公園が、試みに絶滅してしまったオオカミを再導入したら、鹿の数の調整だけでなく、その結果として森が戻って多様な生物が育まれ、川の流れまでが変わってしまったというのです。
たくさんのサイトで紹介されているこの話、知っている人は多いと思うけれど、うかつだったなあ、こんなすごい話を見逃していたなんて。
こうして年明けから、日々、「恥ずかしい」の連続です。
わたしたち人間は、このオオカミと逆のことをやっているのではないか。
どうしたらこのオオカミのように、他者を活かし、他者を育む存在になることができるかどうか、ことしは
の正念場だと思っています。
哲学は動詞である
カントの講座みんなカントが好きだったの第一回
1、西田幾多郎 「道徳維持者としての神」説への反論 2013.1.8 対話つき
で、次のような話を紹介しました。
このホームページから、拙論考「哲学はエンターテインメントになり得るか」をわざわざ読んでくれた方がいて「哲学は動詞であることがわかりました」と、素晴らしいコメント、私を含めた講座の一同、思わず感に入りました。
ご本人から最近、「『動詞』は少し格好付け過ぎでした」と、以下のメールが入ってきました。
哲学とは“定義されたもの”(動かない物・名詞)というより、真理なりを探し求める中での、人々との対話、書を読む、考えると等々動的なものではないか。その過程こそが哲学なのだと感じたのです。
いやあ、どうしてどうして、格好よかったですよ。このメールの内容がまたいいです。
返信しました。
ご丁寧にありがとうございます。
いつに変わらない素晴らしい感性に、感激しきりです。
ご自分の言葉で、カントが言いそうなことを言えるのですから、
驚嘆の一言に尽きます。
カントは確か
「哲学は学ぶことはできない。哲学することをまなぶことができるだけである」と言ったかと思うのですが、あなたのお話の方が、ぼくにはずっと実があります。「動詞」のことは、どうしてどうして、座布団を何枚もおあげしたい名言だと思います。
「語録」のおひとつとして、是非付け加えますように。
これからも素晴らしい言葉を紡ぎ出してください。
重ねて、ありがとうございます。
では、また。
「わたし」というモナド
このホームページは、「わたし」という存在のひとつのモナドです。
ライプニッツのモナドには、窓がありません。
しかし、「わたし」という存在のモナドは、いたるところに窓があります。
その窓から、どうぞ「わたし」のモナドのなかに自由にお入りください。
もちろん出るのも自由です。
当面の窓は、ソクラテスとモーツァルトです。この二人を同時に扱う本をいつか書きたい、とある出版編集者に話したら「それは駄目だね。ソクラテスに関心のある人は、モーツァルトに関心がない。モーツァルトに関心のある人は、ソクラテスに関心がない。その二つには、重なりがないのだ。だから、だれも買わないさ」と言われました。
そうでしょうか。まったく逆で、だれもが心の中にモーツァルト(美)とソクラテス(真)をもっているのではないでしょうか。重なりがないように見えるとしたら、それは気づかれないまま、私たちの心の奥に眠っているだけなのです。
「ソクラテスの中のハイデガー ー哲学的問答法と実存主義の交差」
「情念のソクラテス」としての『ドン・ジョヴァンニ』ーキルケゴールはモーツァルトに何を見たかー
「モーツァルトは音楽のソクラテスである」
ソクラテスとモーツァルトを入り口として、モナドのなかは、蟻の巣のように、縦横無尽・迷路のようにつながり、宇宙から地球、芸術、社会、…そして人間に到るまで、さまざまな世界へと連結していくはずです。
まだまだモナドのほんの一部が形づくられただけですから、
あまりにも小さく、入っていただいても
たいした景観をお見せするまでには至っておりません。
それでも、「わたし」というモナドは開かれたまま増殖を続け、
その内部が不可思議で多彩・多様な様相を示していくことを
気長にご覧になって下されば、ありがたく、嬉しいことです。
第八回 哲学カフェ「バーバパパと人力エネルギー」2015.10.18
第七回 哲学カフェ「映画のコスモロジー」 ー認知症の中に「実存」を見るー2015.6.25
★平成27年度第Ⅱ期講座プラトンの『法律』を読むⅡ
1神々に次いで尊敬されるものは魂である(第五巻)2015.9.29
2、国家の基礎は富の公平な分配である(第五巻)―運命(モイラ)に従えー2015.10.6
3、法律の適切な運用は役人次第であること(第六巻)―プラトンの戦略思考―2015.10.13
4、善き政治とは何か、悪しき政治とは何か―プラトンの政治哲学―2015.10.20
5、裁判:プラトンの三審性2015.10.27
6、偏らない社会をいかに実現すべきか ―プラトンの結婚観―2015.11.10
7、女性は奸智にたけた種族である―プラトンの女性観―2015.11.17
8、徳をはかるメルクマールとしての奴隷2015.11.24
9、遊女ネアイラの物語一一女奴隷の数奇な人生2015.12.4
★平成27年度第Ⅰ期講座プラトンの『法律』を読むⅠシュンポジオン「ソクラテスのおもてなしⅠ」 ―
序、プラトンの『法律』について2015.4.28
1、「内乱の勇者に正義あり」2015.5.12
1の談論 数字9の謎とソクラテス流おもてなし2015.5.19
2、酒宴は魂の性格を試す最高のテストである2015.5.19
談論2 一週間は八日?2015.5.26
3、プラトンから読み取れる現代批判2015.5.26
4、名言か迷言か:「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」2015.6.2
5、浅はかで未成熟な国家は滅亡する 談論付き2015.6.9
6、節度ある生活こそ幸福のもと 談論「プラトンに憲法的意識はあったか」2015.6.15
7、ソクラテスはシレノスかサテュロスか2015.6.23
8、談論:ああ、酒、酒、酒、そして、酒2015.6.30
9、談論:憲法はどうあるべきかードイツに学ぶ2015.7.7
10、古代にならってシュンポジオン2015.7.7
★平成27年度第Ⅱ期講座「モーツァルトの食卓Ⅱー死の謎ー 」
1、病死・過労死・水銀中毒…それともー 2015.10.2
2、常若の国のモーツァルト 2015.10.9
3、徹底解明・サリエリ暗殺説ー推定無罪ー 2015.10.16
4、原佳大レクチャー・コンサート 2015.10.23
5、ホーフデーメル事件に見る撲殺説の真相―怪しいのは誰だー 2015.10.30
6、朗読と歌曲「モーツァルトを愛(いとお)しむ」 2015.11.13
7、フリーメイソン毒殺説と秘数十八の謎 2015.11.20
8、特別創作菓子:モーツァルトに捧げる「相聞菓」 2015.11.27
★平成27年度第Ⅰ期講座「モーツァルトの食卓Ⅰ」ーレクイエムの秘密
1、BBCプロムスのレクイエムを聴く 2015.5.8
2、依頼人ヴァルゼック伯爵とシュトゥパハ城 2015.5.15
3、ピアニストにとってのレクイエムー原佳大レクチャー・コンサートー 2015.5.22
4、これはぼくの「白鳥の歌」だ 2015.5.29
5、レクイエム重唱コンサート 2015.6.12
6、『ティート帝の慈悲』と『レクイエム』 2015.6.19
7、ジュースマイヤー異聞 2015.6.26
8、創作菓子「鎮魂菓」を味わう 2015.7.3