「しゃべり場」モーツァルトⅡ
平成24年度第Ⅱ期講座「しゃべり場」モーツァルトⅡ
-手紙とともに楽しむ天才の旅と音楽
茂木和行
2012年10月5日~12月7日(休 11月2日、11月23日)
(金曜日 2限 計8回)
講座内容
モーツァルトは、旅に明け暮れる人生でした。あれほど旅に出なければ、間違いなくもっと長生きしたのではないでしょうか。しかしそのおかげで、父レオポルトを始めとする家族や友人たちとの膨大な手紙の記録が残されました。そこから私たちは、天才の創造の秘密に触れ、音楽そのものを感じることができます。日記に沿って旅をしながら、天才の音の世界を存分に味わいましょう。
<旅の概要>6歳で始まったモーツァルトの旅は、ときには一家全員で、ときには父・姉と、ときには一人で、ときには妻コンスタンツェと、訪れたヨーロッパの都市は、8か国75都市にのぼります。
ミュンヘン小旅行(1762) 父・姉と(3週間)
第一回ウイーン旅行(1762-1763) 一家で(~3か月)
西方への大旅行(1763-1766) 一家・従僕と(最長の3年6か月)
第二回ウイーン旅行(1767-1769) 一家・従僕と (1年4か月)
第一回イタリア旅行(1769-1771) 父と(1年4か月)
第二回イタリア旅行(1771) 父と (4か月)
第三回イタリア旅行(1772-1773) 父と (6か月)
第三回ウイーン旅行(1773) 父と (2か月)
ミュンヘン旅行(1774-1775) 父・姉と (~3か月)
(ザルツブルク定住1775.3~1777.9 約2年半)
ミュンヘン・アウグスブルク小旅行(1777.9-10) 母と(2週間)
マンハイム・パリ旅行(1777-1778) 母と(7か月)、一人で(3か月)
ミュンヘン旅行(1778-1779) 一人で(2か月)
(ザルツブルク在住1779.1-1780.11)
ミュンヘン旅行(1780-1781) 一人で(3か月)
(1781.3.16~ウイーン定住)
プラハ旅行(1787) 妻と2回(計2か月ぐらい)
①1787.1.8~2.12 『フィガロの結婚』にからんで
②1787.10.1~11.16頃 『ドン・ジョヴァンニ』にからんで
北方への旅(1789) 一人で(4か月)
フランクフルトへの旅(1790) 一人で(1か月半)
<主な都市>をあげれば
1、ドイツ ミュンヘン、アウグスブルク、シュトラスブルク、マンハイム、フランクフルト、マインツ、コブレッツ
2、フランス パリ、リオン
3、イギリス カンタベリー、ロンドン
4、ベルギー ブリュッセル
5、オランダ ユトレヒト、ハーグ、アムステルダム
6、イタリア ロベレート、ボルツァーノ、ヴェローナ、ヴェネチア、ボローニャ、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ
7、スイス チューリッヒ、ローザンヌ
8、オーストリア ウイーン、リンツ、インスブルック
9、チェコ プラハ
<講座8回分のテクスト・内容>
(各タイトルをクリックすると、テクスト・内容が見れます)
- アウクスブルク
父・レオポルト・モーツァルトはどんな人だと思いますか? 息子あての手紙を読みながら、お互いに意見を交換し合いましょう。 - ザンクト・ギルゲン
母・マリア・アンナはどんな人だったと思いますか。夫・レオポルトへの手紙を参照しながら、出身地のザンクト・ギルゲンの話を交えて、大いに想像をたくましくしておしゃべりしましょう。 - ザルツブルク 1
ザルツブルグはどんな町で、子どものころのモーツァルトはどのようにして育ってきたのでしょうか。自由におしゃべり致しましょう。 - ザルツブルク 2
モーツァルトはザルツブルグを嫌っていました。なぜでしょうか。その生地は皮肉にも「ザルツブルク音楽祭」で象徴される「モーツァルトの街」として栄えています。音楽祭をサカナに、モーツァルの心を解剖してみましょう。 - インスブルックからブレンナー峠を越えて
モーツァルト一家は、なぜイタリアへと足を運んだのでしょうか。ゲーテもまた、詩作への行き詰まりを打破するためにイタリアに行きました。イタリアの魅力とはなんでしょうか。自由にお話を致しましょう。 - ロヴェレート
ブレンナー峠を越えての小さな街ロヴェレートには、モーツァルトを讃えるフリーメイスンの不思議なモニュメントがあります。モーツァルトとフリーメイスンのことをおしゃべりしましょう。 - ヴェローナ
ヴェローナは、シャークスピアの「ロミオとジュリエット」で知られる世界遺産の街です。少年モーツァルトへの熱狂ぶりを振り返ってみましょう。 - ミラノからヴェネチアへ
モーツァルトの「音」の底に、皆さんはどのような響きを感じますか。たとえば、清涼な空気のなかで舞い落ちる滝の雫、など。