「わたし」という存在

ソクラテスとのツーショット?モーツァルトとのツーショット

ソクラテスとのツーショット(大英博物館にて)モーーツァルトとのツーショット(ウイーン。モーツァルト終焉の地跡地に建つ百貨店記念碑にて)

茂木和行(もぎかずゆき)  

1946年2月4日 母の実家である埼玉県行田市に生まれる。
都立青山高校卒。高校生の頃、手作りの天体望遠鏡(筒はボール紙でした)で、宇宙の深淵に驚異し、天文学を志しました。
東大理学部天文学科卒。毎日新聞社に入社。
TBSブリタニカ、生命誌研究館を経て、
聖徳大学教授(現代ビジネス学科)助教授
同(文学科)教授(~2016年3月)。
NPO法人 人力エネルギー研究所代表
 同法人の活動拠点を富士河口湖町に置き、「富士山暮らし応援隊」の一員として、富士河口湖町への移住を考える人たちの支援活動や町の活性化のための活動も行っている。

 宇宙の神秘以上に人間の神秘に惹かれ、新聞記者になりました。
科学系出身ということで、原子力の東海村がある水戸支局に配属されました。しかし、なぜか東京社会部で事件記者となり、捜査四課(暴力団と知能犯を扱う部署)担当となり、ロッキード事件などの取材にあたりました。当時の綽名は、「ロケット弾」(狙った的ははずさない)、「入れ込みボーイ」(出走する競馬うまが、ゲートのなかでいまにも走り出しそうに興奮して取材に出かけることから)その後、サンデー毎日記者を経て、
TBSブリタニカ入社。 

 ニューズウイーク日本版副編集長として国際報道に従事。史上最悪の株価大暴落が起きたブラックマンデー(1987年10月19日)を体験しました。その後なぜか、フランス系女性誌フィガロジャポン編集長として、女性のファッションやメイクとお付き合い。
 あまりのオシャレぶりに「あの人だれ」などと、指をさされたことも一度や二度ではありません^^(いまは少しも面影がありませんが、ホントです^^)

 JT(日本たばこ産業)の生命誌研究館(いきものに関係するミュージアム兼研究機関)入社。
 いきものに関係する展示や映画製作などにあたりました。
1995年から、聖徳大学にお世話になり、
2016年3月で定年退職しました。
現在 
 NPO法人 人力エネルギー研究所代表(2017年5月17日 東京都により認証)

 聖徳大学総合研究所(現・言語文化研究所)所長だった井上忠先生からアリストテレスを中心としたギリシア哲学の薫陶を受けました。新聞記者もソクラテスも、「問い」が相手の心を開いていくことにおいて共通していることに気づき、ソクラテスの対話法を取り入れた講義方法を、大学の授業や聖徳大学の社会人講座SOAにおいて展開してきました。

 「哲学する場」としての「五感型ミュージアム」の開発研究、哲学そのものの創造の場としての「哲学の館」の研究も行ってきています。

★五感のミュージアムー哲学のミュージアム化は果たして可能でしょうか

★天文学の師・海野和三郎が主宰するネットメディア『私達の教育改革通信』の編集担当者の一人です。              

 

「ああ、なんと楽しい 哲学」

ザンクト・ギルゲンのモーツァルト像
母の故郷ザンクト・ギルゲンのモーツァルト
「しゃべり場」モーツァルトⅡ  2、ザンクト・ギルゲン

哲学は難しいものではありません。
哲学は楽しいものです。
音楽が音と戯れ、絵画が色や形と戯れ、詩や文学が
言葉と戯れるように、

哲学は「考えること」と戯れる、

とでも言ったらいいでしょうか。

ザルツガンマーグート

空の雲を見ていて、「ああ、きれいだなあ。あそこの中に入ったら、きっと楽し
いだろうなあ」とぼんやり考え始めただけで、もうあなたは哲学の世界に浮遊を始
めているのです。

このホームページによって、すこしでも多くの方たちが

「哲学する」

ことの楽しさを知ってくれたなら、これほど幸せなことはありません。 

私とソクラテス

 記者は、「問い」によって取材相手の心を開く。ソクラテスは、「問い」によって相手の心を覚醒させる。新聞記者から大学人の哲学徒に転身し、ソクラテスの研究を始めたのは、二つの類似性に惹かれたからだった。心の奥底に隠れている想念を表に出すためには、聴き手が「無」の状態にならなければならない。聴き手の思い込みやいたずらな知識は、相手の心を縛りつける「拘束」となって働くからだ。ソクラテスを見ていると、ある禅僧の言葉を思いす。「だれでも、私を目覚めさせてくれる方は、仏さまです」。ソクラテスの「無知の知」とは、この禅僧の心境につながるのではないか。社会人を対象とした聖徳大学オープンアカデミー(SOA)で、対話型の講座を手掛けたのは、むしろ「市井の仏」にこちらが出会いたかったからだ。
 七、八年前に五、六人で始めた哲学講座が、いまでは十八人前後にまでふくらんできた。関係する哲学者はソクラテスからさらにニーチェ、ハイデガーと広がり、次はカントに挑戦することになっている。彼ら哲学者の人生や言葉に刺激され、個々の受講生の心のなかに熟成された「想い」が講座の中に飛び交い、闊達に刺激し合って実に小気味よい。4月からは、誰という哲学者にこだわらず、日常の現場を題材にお互いを刺激し合う新しい形式の講座「哲学道場:しゃべり場」がスタートする。今度は、どんな仏たちと出会うことになるのか、いまからワクワクしている。
               (女性キャリア学科教授、哲学・ジャーナリズム)

(平成23年2月1日 『聖徳フラッシュ』のリレーエッセイ「研究室から」の「私とソクラテス」より )

【著書】

『無から生まれた宇宙』(毎日新聞社 一九八六年)
 
『ゼロの記号論』(毎日新聞社 一九八八年)
 
『木から落ちた神様』(毎日新聞社 一九九一年)
 
『アカデメイアの学堂』(夢譚書房 一九九七年)
 
『情報環境論―読んで考える方法』(聖徳大学通信教育部 二〇〇三年)

『目隠し写真集「見えるものと見えないもの」(哲学的ワークショップの試み)』
  (聖徳大学子育て支援社会連携研究事務局 二○○九年年5月) 
 

[論文]

「ソクラテスの中のハイデガー ー哲学的問答法と実存主義の交差」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』22 二〇一五年三月)

「情念のソクラテス」としての『ドン・ジョヴァンニ』ーキルケゴールはモーツァルトに何を見たか」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』21 二〇一四年三月)

 『あれか、これか』における『ドン・ジョヴァンニ』論で展開されているキルケゴールの「エロス」の概念が、「知のソクラテス」の陰に隠れていた「情念のソクラテス」の本質そのものであることを論証しようとしたものです。

モーツァルトは音楽のソクラテスである」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』20 二〇一三年三月)

「『しゃべり場』の思想ー自他の境界は、いかにして越えられるかー」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』19 二〇一二年三月)

「哲学はエンタテインメントになり得るかー『知の費消』の先にあるものを見据えてー」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』18 二〇一一年三月)

小論「1KWの人間学」

「いま、そこにある『未来』」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』17 二〇一〇年三月)

「五感型ミュージアムの開発研究」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第十三号二〇〇九年三月)  
 
「パルメニデスの門カイロスが誘う『無』の開け」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』
16 二〇〇九年二月)
 
「思考のスリル―心の迷宮を徘徊せよ」(聖徳大学(FD)紀要『聖徳の教え育む技法』第三号 二〇〇八年)     
 
「変容する今―時間の小さな探究―」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』15 二〇〇八年二月)
 
「『十四人のプラトー』―リゾームとしての教育の場」(聖徳大学(FD)紀要『聖徳の教え育む技法』第二号二〇〇七年)104
 
「影の存在論」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十八号 二〇〇七年)
 
「デュナミスとエネルゲイア―『キアスム変換』が拓く眼前の風景(『聖徳大学言語文化研究所論叢』14  二〇〇七年二月) 

「ソクラテスのカフェ―対話型授業への挑戦」
(聖徳大学(FD)紀要『聖徳の教え育む技法』第一号二〇〇六年)
 
「小さなソクラテスよ、語れ!―『知的饗宴の場』としての哲学」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十七号二〇〇六年)
 
学術フロンティア推進事業研究平成17年度研究成果報告書「第3部門定年退職前教育と生きがいに関する研究」二〇〇六年三月)
 
「創年の哲学的たまり場―『ツァラツストラ』による生き方再生」(私立大学高度化推進事業
 
「無知の探究―アグノイア、アマチア、アパイデウシア」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』1 3 二〇〇五年二月)
 
「創年の知―パイデイアの輝き」(私立大学高度化推進事業学術フロンティア推進事業研究『創年学―中高年
の新しい生き方の創造』 二〇〇五年八月)
 
「学生たちとの『意味探しゲーム』―実存的充足を求めて」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十六号 二〇〇五年)
 
「ソクラテスにとって、他者とは何であったか」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』12 二〇〇四年)                      
 
「意味探しゲーム―多様な時間を取り戻せ―」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十五号
 二〇〇四年)
 
「『ものなしミュージアム』に向けて―立体ジャーナリズムとしての博物館」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第八号 二〇〇四年)
 
「哲学的教育論―自己のモナド性に目覚めさせよ」(『こどもと教育』川並弘昭先生古稀記念論集聖徳大学出版会 二〇〇三年)
  
「『無の存在論』―ゲシュタルトとしての『存在』と『無』―」
(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十四号 二〇〇三年)103
 
「『時間濃縮装置』としてのミュージアム―『存在の根拠』とのコミュニケーションを求めて」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第七号 二〇〇二年)
 
「持つの形而上学――フロム、芭蕉、アリストテレス、ハイデガー、レヴィナスをつなぐ点と線」(『聖徳大学
言語文化研究所論叢』10 二〇〇二年)
 
「ソクラテス、女子学生、ハイデガー――対話から読み解く日常性の哲学」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十三号 二〇〇二年)
 
「ミュージアムにおけるソクラテス的対話の試み」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第六号 二〇〇二年)
 
「アリストテレスのベクトル思考――中庸論の言語機構を分析する」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』9 二〇〇一年)  
 
「ソクラテスの言語将棋――善への王手筋を読む」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十二号 二〇〇一年)
 
「アリストテレス博物館をつくろう――哲学ミュージアムの具体的展開」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第五号 二〇〇一年)
 
「『ヒュポケイメノン』の研究――アリストテレスの『先にあるもの』とは何か」(『聖徳大学言語文化研究論叢』8 二〇〇〇年)
 
「アリストテレスの二つの『がある』――一般存在言明と個別存在言明」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十一号二〇〇〇年)
 
「哲学博物館――考える場としての二十一世紀のミュージアム」(『日本ミュージアム・マネージメント学会研究紀要』第四号 二〇〇〇年)
 
「アリストテレスの第三の定義――二本足の動物は人間か」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』7 一九九九年)
 
「プラトンはいかに『存在』を多重化したか――『パルメニデス』に見るアリストテレスの影」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第十号一九九九年)102
 
「ソクラテスの二つの次元――言語の叙述機能と命令機能」(『聖徳大学総合研究所論叢』6 一九九八年)

 「徳と知の探求――ソクラテスの主題によるプラトンの変奏」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第九号 一九九八年)
 
「ソクラテスの嵌まったパラドックス」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第八号 一九九七年)
 
「哲学的ファクションの創造」(『聖徳大学総合研究所論叢』4 一九九六年)
 
「原語の探求」(『聖徳大学人文学部研究紀要』第七号一九九六年)
 
「心の量子力学における『私』」(『聖徳大学総合研究所論叢』3 一九九六年)
 
「もう一人の私」(『聖徳大学総合研究所論叢』1一九九三年)

【哲学的戯曲】
 
「フィロソフィカル・ファルス『牛』」(『聖徳大学総合研究所論叢』5 一九九七年)