哲学は動詞である

 平成24年度第Ⅲ期講座 みんながカントが好きだったの第一回

1、西田幾多郎 「道徳維持者としての神」説への反論 2013.1.8 対話つき

 で、次のような話を紹介しました。

 このホームページから、拙論考「哲学はエンターテインメントになり得るか」をわざわざ読んでくれた方がいて「哲学は動詞であることがわかりました」と、素晴らしいコメント、私を含めた講座の一同、思わず感に入りました。

 ご本人から最近、「『動詞』は少し格好付け過ぎでした」と、以下のメールが入ってきました。

 哲学とは“定義されたもの”(動かない物・名詞)というより、真理なりを探し求める中での、人々との対話、書を読む、考えると等々動的なものではないか。その過程こそが哲学なのだと感じたのです。

 いやあ、どうしてどうして、格好よかったですよ。このメールの内容がまたいいです。
返信しました。

 ご丁寧にありがとうございます。

いつに変わらない素晴らしい感性に、感激しきりです。
ご自分の言葉で、カントが言いそうなことを言えるのですから、
驚嘆の一言に尽きます。

 カントは確か

「哲学は学ぶことはできない。哲学することを学ぶことができるだけである」

と言ったかと思うのですが、あなたのお話の方が、ぼくには
ずっと実があります。「動詞」のことは、どうしてどうして、座布団を何枚も
おあげしたい名言だと思います。
 「語録」のおひとつとして、是非付け加えますように。

 これからも素晴らしい言葉を紡ぎ出してください。
重ねて、ありがとうございます。

 では、また。