平成24年度第Ⅱ期講座カント『判断力批判(下)』を読む
第8回「私たちは何のために存在するのか」の問いを立てましょう
をめぐる対話
★この日の講座は、次のような話で始まりました。
カントは「人間は何のために存在するのか」の問いをたてた。
ハイデガーは「私は誰だろう」の問いをたてた。
これに対して、一人の受講生が、
ある哲学者が講演会で
「自分探しなどけち臭い。世界のために何ができるかを考えなさい」
と言った、との話を披露してくれました。
なるほど、いい話です。そこで、「銀河系のなかで太陽系は1億4000万年ごとに超新星爆発の頻度が高い銀河の腕を通過するために極端な寒冷化に陥り、7000万年前の恐竜絶滅もそれと関係があるのではないか、という説を紹介しました。太陽系はあと7000万年たつと再び銀河の腕を通過することになるので、人類は恐竜と同じ運命にさらされることになります。私たちは7000万年後の未来に対して何かできることはあるのだろうか、という大きな問いを立ててみたのです。
私たちにとっての「世界」は、時間的にも空間的にも、驚くほどのスケールで広がっています。さて、あなたは、どう考えますか。
第9回現代宇宙論が描き出す世界像は、私たち以外にいくつもの世界が存在する可能性を示唆している。「未知との遭遇」はあるのだろうか。
をめぐる対話
★この日の講座は、ハイデガーの「ふたつの無」から入りました。
「自分の存在に気づいている存在」であるとして、人間のことを定義したハイデガーが人間の在り方として究極に目指した境地は、
無我
無私
の二つです。
無我は「無我夢中」の無我。ひたすら自分の行為に熱中している状態です。簡単に言えば、何かを夢中でやっていて「我を忘れている」状態のことです。
無私は「無私無欲」の無私。ひたすら他者のことばかり考えていて、自分の存在がない状態です。マリア・テレサのような人を思い浮かべればわかりやすいでしょう。
ハイデガーは、この無の状態にあるとき、私たちは「開かれた」状態にある、と考えたのです。開かれた状態のとき、私たちはすべての世界とつながることになります。
第10回いかなる技巧・技法が、私たちを「さもしさ」から解放してくれるだろうか。自然の技巧から私たちは何かを学ぶことができるか。
をめぐる対話
★この日は、カントの二つの「技巧」(メカニックとテクニック)について、まず話をしました。
単純化すると
技巧のタイプ | 属性 | 技術の種類 | 典型的な産物 |
メカニック(機械的) | 自然の技巧 | 物理的な力による形成 | 宇宙 |
テクニック(人為的) | 人間の技巧 | アートに象徴される技による形成 | 芸術 |
となります。
しかし、実は、自然の技巧も人間の技巧も、メカニックとテクニックの両面をもっている、と考えるのが、この日に言いたいことでした。提案した新しい図式は
自然の技巧 | メカニック | 宇宙の形成 |
テクニック | 生命の形成 | |
人間の技巧 | メカニック | ? |
テクニック | 芸術の形成 |
この「?」の箇所に入るものが何か、が問題になります。ドイツZDF・テレビ映像「フクシマのうそ」を題材としたのは、たとえば「原子力むら」のような集合体を形成するのは、人間集団をある「かたち」へと導くカント的な「メカニック」な力である、と考えたのです。
東電を中心とした政界、官界、学者界、マスコミ界は、一つの共同利益体として、「原子力むら」なるネットワークを形成しています。そこには見えない力が働いており、組み込まれた人たちを特有の思考・行動様式で縛り、その「むら」の外の人間たちにさまざまな影響を与えています。「むら」の構成員は、意図して「むら」を作っているわけではありません。しかし、意図しない見えない力によって、特有の行動様式、たとえば「事故の隠ぺい」や「書類の改ざん」あるいは、「むら」の利益に立ち向かおうとする人間や組織に対して、ときに「復讐」とも思われる痛烈な一撃を加える、といった、行為を取ることになるのです。
ドイツZDF・テレビ映像「フクシマのうそ」を見ていると、「むら」の発するこの見えない力が、恐ろしいほどの影響を社会に与えていることがよくわかります。まだご存知のない方は、是非この映像を見ていただきたいと思います。
「フクシマのうそ」http://www.youtube.com/watch?v=8MZKxWLruZQ
少なくとも、この「むら」を作り上げる要素の一つは「経済合理性」あるいは「経済優先性」であることも、このテレビ映像は教えてくれています。
日本社会にはびこる「さもしさ」も、実は「原子力むら」と本質的には変わらない、人間集団に働くメカニックな力のなせる技なのです。メカニックな力に対抗するために私たちが開拓しなければならないのが、テクニックの技です。
どのようなテクニックの技が、日本社会を覆っている無数のメカニックな力に対抗できるのか、この講座で少しづつ明らかにしていきたいと思います。
<全10回分の講座テクストと内容>
タイトルをクリックすると、各回の講座詳細に入ります。
- わたしたちが自然の中に見出す美の形式 2012.9.25
テーマ:「わたくしという現象」は、アインシュタインのこの方程式の、一つの、小さな、はかない、しかし、どこまでも美しい影なのでしょうか。 - プラトンの純粋直観が導いたイデアの合目的性 2012.10.2
テーマ:音楽にも数学の放物線にあたる原型的な「形」があるのだろうか。 - 世界には何一つ無駄なものはない 2012.10.9
テーマ:私たち自身の「生」と「死」は、いかなる意味で無駄ではないと言えるのだろうか。 - 人間こそが創造の究極目的である 2012.10.16
テーマ:カントが常々主張してやまないこの命題「人間こそが創造の究極目的である」は、本当だろうか。 - 美は自然が我々に配慮した恩恵である 2012.10.23
テーマ:「美とは何か」を、一言で表現する「ゲーム」をいたしましょう。 - 内なる声が神を求める 2012.11.6
テーマ:神は道徳的知性者というより、「美の降臨者」ではないだろうか。 - 判断力は技術としての自然という考え方を導き出す 2012.11.13
テーマ:自然が織りなすアートの「暗号」について話しましょう。 - 全自然はなんのために存在するのか、の問い 2012.11.20
テーマ:いま一度「私たちは何のために存在するのか」の問いを立てましょう。 - 地球以外の惑星に理性的存在がいると考えることは… 2012.11.27
テーマ:現代宇宙論が描き出す世界像は、私たち以外にいくつもの世界が存在する可能性を示唆している。「未知との遭遇」はあるのだろうか。 - 自然の技巧と判断力の技巧 2012.12.4
テーマ:いかなる技巧・技法が、私たちを「さもしさ」から解放してくれるだろうか。自然の技巧から私たちは何かを学ぶことができるか。