平成25年度第Ⅱ期講座 正義のアイデアⅡ

 講座「哲学の楽しみ」の
 平成25年度第Ⅱ期講座 正義のアイデアⅡ は

10月1日から12月10日(毎火曜日)

の予定で全10回が終了しました。

1、アショカ王の金言 寛容は相対主義への落とし穴か 2013.10.1
2、ガルブレイスの警鐘 「拮抗力」はどこまで有効か 2013.10.8
3、市場が道徳を解放する? 悪には対抗できるが、善には対抗できない 2013.10.15
4、なぜあなたは私を無視するのか アレクサンダー大王の「なぜ」 2013.10.22
5、多数決のパラドックス 2013.10.29
6、人間行動のモデル化 何が良くて、何が悪いのか 議論付「日本の病理」2013.11.5
6、人間行動のモデル化 付記 「悟り」と「アローの不可能性定理」 2013.11.5
7、女子教育が正義を促進させる 2013.11.19 マララ・ユフスザイさんの国連演説
8、自由をめぐるカントの先進性 「誰かのために戦う人間は強い」 2013.11.26
8、自由をめぐるカントの先進性 論議と付記
9、ウイットゲンシュタインを目覚めさせたのは誰か 2013.12.3
10、「無知のベール」VS「心の中の人」 2013.12.10

講座概要 アレクサンダー大王が紀元前325年にインドにまで押し入ったとき、屈服しないジャイナ教哲学者に「なぜあなたたちは私に注目せず、無視するのか」と問うた。その答えが素晴らしい。「あなたも私も同じ人間です。死ぬときは同じ大きさの土地に埋葬されるでしょう。生きているときも、同じことです」。正義の問題には、無数の金言が隠れている。ご一緒に、「正義とは何か」の問いを深めていきましょう。

テクスト
アマルティア・セン『正義のアイデア』(池本幸生訳、明石書店)

★今期の講座を始める前に、アマルティア・センの重要な二つの考え方について、触れておきましょう。
1、 「合理的な愚か者」(rational fools)
●アマルティア・セン『合理的な愚か者 経済学=倫理学的探究』(大庭健・川本隆史訳、勁草書房、1989.4)
2、  「自由としての経済開発」 (development as freedom)
●アマルティア・セン『自由と経済開発』(石塚雅彦訳、日本経済新聞社、2000.6)

 一つ目の「合理的な愚か者」とは、個人の合理的な選択が社会を発展・向上させていく、と考える「ホモ・エコノミスト」と呼ばれる利己的な経済人に対して、かえってその生き方が社会にとってマイナスになることに気づかない「愚」を戒めるために案出したセンの造語です。合理性よりも、「共感」(sympathy)と「関わり」(commitment)の重要性を説きます。

<参考>
ホモ・サピエンス=知恵の人(人類の総称)
ホモ・ルーデンス=遊ぶ人(人は遊ぶことに本質があるとするホイジンガの考え方)
ホモ・エコノミスト=経済人(自己の利益を最適化することに最大の価値を置く経済合理主義者)⇒かつてのエコノミック・アニマルを思い出させる。

 二番目の考え方は、哲学なき乱脈的な経済開発に警鐘を鳴らすものです。アリストテレスの言葉「富やカネはそれ自体が目的ではなく、大事なものを達成するための手段にすぎない」をひきながら、センは「経済開発の目的は人々の自由を拡大することを目指すものでなければならない」と声をあげて主張しています。

<講座10回のポイント>

1、 アショカ王の金言
アショカ王は不寛容に反対し、ある社会グループや宗派の人たちが他の人たちの考えに反していることがわかった場合でも、「他の宗派の人たちは、いかなる場合も、いかなる点でも、十分に尊重されるべきである」と主張した。このような助言を与える理由の一つに、「他の宗派の人々もすべて何らかの理由で尊重される価値がある」という認識がある。
            (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.130)

 アショカ王(B.C268-232頃)インドのマウリア朝第三代の王で、インド亜大陸をほぼ統一した。仏教を守護した大王として知られ、法「ダルマ」による慈愛の政治を目指した。

2、 ガルブレイスの警鐘

ここで、社会が必要とする適切な社会制度の性質に関するジョン・ケネス・ガルブレイスの基本的な洞察について取り上げておくべきだろう。ガルブレイスは、社会にとって制度的バランスが必要であり、権力は腐敗するものであるために、抑制されることのない権力の負の影響についてよく気付いていた。彼は、互いに効力を発揮することもできる異なった社会制度の重要性について論じている。                (同p.138)
                                            
 ガルブレイス(1908-2006)アメリカの経済学者。『不確実性の時代』『アメリカの民主主義』『ゆたかな社会』など、著書多数。

3、 市場が道徳を解放する?

ディヴィッド・ゴティエは、彼の有名な「合意による道徳」の探究において、様々な集団間での制度的取り決めについての合意に依存し、それは、社会正義に我々を導くと想定されている。制度は圧倒的な優先権を与えられ、それは、合意された制度がもたらす実際の帰結の性質から提供を受けないとみなされる。…ゴティエは、正しい制度を作ることによって様々な集団は道徳から常に制約を受けることから解放されると明快に論じている。ゴティエの本で、これらのことを説明している章は「市場:道徳からの自由」と名付けられている。
(同p.140-141)

 ディヴィッド・ゴティエ(1932-) 他者の権利を侵害しない限り、各人は自由である、とするリバタリアン経済学者の一人。道徳は絶対的な基準ではなく、あくまで合意された縛りに過ぎない、とする視点から正義論を組み立てた。

4、 なぜあなたは私を無視するのか

 紀元前325年にアレクスサンダー大王はインド北西部を駆けめぐり、パンジャブ周辺の地元の王たちと一連の戦いを行い、そのすべてに勝利した。…この世界征服者はジャイナ教哲学者たちに、「なぜあなたたちは私に注目せず、無視するのか」と問うた。この問いに対して次のような民主的な答えが返ってきた。「アレクサンダー王。すべての人は、この地球の表面で我々が立っているのと同じくらいの広さだけ所有することができます。…あなたも私たちと同じ人間です。…あなたもすぐに死ぬでしょう。そのとき、あなたは自分が埋葬されるのに十分な土地だけ所有することになるでしょう」
(同p.145)

 アレクスサンダー大王(BC.356-323)。全ギリシアを制圧し、インドからエジプトにいたる巨大帝国を築いたマケドニアの王。アリストテレスが家庭教師を務めた。

5、 多数決のパラドックス

 初期の社会的選択理論家を動かした動機は、社会的選択の手続きにおける恣意性と不安定性を回避することにあった。…しかし、彼らの理論的研究は概して悲観的な結果に終わった。例えばコンドルセは多数決によってAがBを負かし、また多数決によって B がCを負かし、同様に多数決によって今度はCがAを負かすというように、多数決原理は全く矛盾したものになりうることを示した(「コンドルセのパラドックス」)             (同p.151)

 ニコラ・ド・コンドルセ(1743-1794)フランスの数学者、哲学者、政治家。数学を用いて近代民主主義の原理を示した。多数決は必ずしも有効ではないことを示す「コンドルセのパラドックス」で知られる。

6、 人間行動のモデル化

 正議論に対する社会的選択アプローチの最も重要な貢献は、たぶん、相対的評価を持ち込んだことである。先験的ではなく、相対的な枠組みは完全に公正な社会とはどのようなものか(それについては合意が存在するかもしれないし、しないかもしれない)を考えるのではなく、何が選択されるべきかの決定が採られるべきかを考えるときに、その背後にある実践的理由に注目する。正義論は、実際に直面している選択について何か言うことができなければならず、想像上の、ありそうもない、打ち負かすことのできない荘厳な世界に我々を没頭させ続けるようなものであってはならない。       (同p. 169-170)

7、女子教育が正義を促進させる

 今日、ヨーロッパは人口爆発ではなく人口収縮を恐れており、また人口増加率を低下させるうえで教育、特に女子教育を持つ劇的な効果について世界中で証拠が蓄積されてきており、啓蒙と相互作用を評価するコンドルセの考え方は、抑圧されない理性が世帯サイズを減らす上で果たす役割を否定したマルサスの悲惨な冷笑主義よりも支持を得られている。
(同p.177)

8、自由をめぐるカントの先進性

 「私にとって正しいことは何でも、同じ状況にいるすべての人にとっても正しいことであるということ(これはカントの格率から受け入れたものである)は、確かに根本的であり、確かに正しく、実際的重要性を持つように私には思われる」(功利主義経済学者で、哲学者のヘンリー・シジウィック)
(同p.184)

9、ウイットゲンシュタインを目覚めさせたのは誰か

(『論理哲学論考』(1921)の)アプローチの妥当性についてウィトゲンシュタインが抱いていて疑問は、彼が1929年1月に、 ケンブリッジに戻った後…展開し、成熟する。この変化をもたらす上で大きな役割を果たしたのが、ケンブリッジ大学の経済学者であったピエロ・スラッファであった。
(同p.187)

 ピエロ・スラッファ(1898-1983)イタリア出身の経済学者で、ケンブリッジ大学でウイットゲンシュタインらとともに「カフェテリア・グループ」を構成。

10、「無知のベール」VS「心の中の人」

 ロールズの「原初状態」における「無知のベール」は、人々に自分自身の個人的な既得権益が目標を乗り越えて考えさせるには非常に効果的な工夫である。それにもかかわらず、それは、地域的な、たぶん辺境な価値観を開放的に精査することをほとんど保障しない。「我々は、いわば、自分自身の本来の場所から離れ、ある程度の距離から眺めようと務めなければ」、地域的な前堤、さらに暗黙の偏狭な信念を乗り越えることはできないというスミスの懐疑論から学ぶべきものがある。
                            (同p.199)