平成25年度第Ⅲ期講座モーツァルトのオペラⅢ

     -『フィガロの結婚』を10倍楽しむ

1、ボーマルシェと時代背景 2014.1.17
2、『フィガロの結婚』上演の秘密 2014.1.24
3、ケルビーノは若きドン・ジョヴァンニ? 2014.1.31  キルケゴールの「愛の三段階」
4、モーツァルトの分身としてのフィガロ 2014.2.14 
5、原佳大先生コンサート  2014.2.21 ピアニストにとっての『フィガロの結婚』
6、『コシ・ファン・トゥッテ』への道  2014.2.28 
7、モーツァルトの「赦し」の思想  2014.3.14 

「どこに行っても、フィガロ、フィガロの大合唱です」とモーツァルトは、プラハからウイーンの親友に手紙を書いています。フランス革命の引き金を作ったとも言われるボーマルシェの政治・社会風刺劇を、オペラ化したいと望んだのはモーツァルト自身でした。そこにどのような心情が反映しているのでしょうか。

1、 ボーマルシェと時代背景

 『フィガロの結婚』の原作は、いうまでもなくフランスの劇作家ボーマルシェ(1732-1799)の同名の作品です。床屋のフィガロを主人公とする彼の三作『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪ある母』は、フィガロ三部作と呼ばれています。第二作をモーツァルトがダ・ポンテ台本でオペラ化(1786年)し、第一作はロッシーニが遅れて1816年にオペラ化しました。

 原作者のボーマルシェは、実に興味深い人生を送った人です。パリの時計工の子に生まれ、21歳のときに回転速度を一定にたもつ「がんぎ」を発明、22歳で王室御用時計工となります。翌年、知り合った貴族から王室大膳部吟味官(王に料理を配膳する役職。年俸600フラン+1500フラン相当の現物支給)の職を買い、さらに翌年、亡くなったその貴族の未亡人と結婚、妻の所有地の名を冠してボーマルシュを呼び名とします。25歳で、その妻と死別し、27歳のときに、ルイ15世の王妃たちの音楽教師となり、ハープを教えます(無料奉仕)。この間、ポンパドゥール夫人ら王室に力のある人々との人脈を広げ、29歳のときに8万5,000フランで「国王秘書官」職を購入、晴れて貴族になります。

 30歳で道化芝居を書き始め、35歳のときに出世作『ユージェニー』をコメディー・フランセーズで初演、43歳でフィガロものの第一作『セビリアの理髪師』を初演することになります。この間、1774年にはルイ15世の密使としてロンドンに渡り、15世の死後あとを継いだルイ16世の密使としてウイーンに赴き、マリア・テレジアと面会します。1776年には、商社(商会)を設立し、新大陸独立支援活動に乗り出し、翌年には中古船を買って武装商船『誇り高きロドリーグ号』に改装。同じ年に、自邸で劇作家協会を設立します。

 1782年、ルイ16世は、「政府のなかのあらゆる尊敬すべきものを愚弄している」と『フィガロの結婚』の上演を禁止します。その後のもろもろのいきさつは、鈴木康司『闘うフィガロ―ボーマルシェ一代記』(大修館書店、1997.5)を参照していきましょう。