談論2 一週間は八日?

 ミノスが9年ごとに父ゼウスと会って語ったとする話は、数と世界との不思議な関係を感じさせて、皆さんを大いに刺激したようです。お一人の方は、数秘術関連の著作を探索して、「9」の持つ意味について、「真理」あるいは「不完全」など、さまざまな考え方があることを示してくれました。お一人は、仏教の49日は死者の魂が輪廻に行くか解脱に向かうかの分岐点だとの禅坊主の話を紹介してくれました(『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(文春新書、p.136)

 さて、ミノスが9年ごとにゼウスに会う話の次のような原文(『オデッセウス』19.164-202)を、プラトンは対話篇『ミノス』におて、正確にそのまま引用しています(319b)。

 ἐνὶ Κνωσός(クノッソス), μεγάλη πόλις(大きな都市国家), ἔνθα (そこでは)τε Μίνως(ミノスが)ἐννέωρος (9年目の)βασίλευε(王であり) Διὸς(ゼウス) μεγάλου(偉大なる) ὀαριστής(語らいの友),

 ἐννέωρος は、9年目の、9歳の、といった意味で、ἐννέas が9を表します。そのまま読むと、王位について9年目、が自然で、ホメロスの『オデッセイア』の訳者、たとえば、松平千秋は「九年にわたって王位に」(岩波書店)、高津春繁は「九年の間治めていた」と訳しています。ところが、プラトンは次のような説明をつけているのです。

 [319ε] συνουσιαστὴν τοῦ Διὸς εἶναι τὸν Μίνων. (ミノスはゼウスの親しき友である)οἱ γὰρ ὄαροι λόγοι εἰσίν,καὶ ὀαριστὴς συνουσιαστής ἐστιν ἐν λόγοις—ἐφοίτα (行ったり来たりしている)οὖν δι᾽ ἐνάτου (9)ἔτους(年ごとに)εἰς τὸ τοῦ Διὸς ἄντρον(洞窟) ὁ Μίνως,

 「9年」の表現を「王位」につなげるか、「語らいの友」につなげるかで、解釈が変わってくる、と言ってもいいでしょう。岩波版『オデッセイア』の訳者松平千秋は「9年ごと、と取るのは、プラトンの解釈である」として、「これ以上、この問題には立ち入らない」とかわしています(同書下巻訳注p.337)が、さてどうでしょうか。プラトンはその時代の人なのですから、その時代のことはプラトンに軍配を上げるのが自然だと思うのですが。

 「9年ごと」が正解なのではないかとする根拠の一つを、受講生のお一人が探しだしてくれました。BC1-2世紀のアテナイ人アポロドロースが書いた『ギリシア神話』(高津春繁訳、岩波文庫:原題biblioteke=library 書棚、図書館)に「無限の1年」という表現があり(同書p.124)、訳注に「おそらく八年を以て1周期とする古い暦法の中の1単位」と説明している(p.220)ことを取り上げ、「9年ごと、の表現は、この8年1周期の暦法を反映したものではないか。つまり、9年ごとに新しい始まりになるわけですからね」との実に説得力のある考えを披露してくれたのです。

 ここで、「無限の一年」と訳されているのは、ἀίδιον (永遠の、永久の)ἐνιαυτὸν(1年間)で、むしろ「永遠の一年間」の表現があたっていると思うのですが、殺人罪に問われたものの年季明けのことを意味します。この著書を英文に訳したSir James George Frazerは、「永遠の一年間」について、何箇所かに分けてかなり詳細な注をつけて説明しており、それによれば「八年周期の古い暦法のことだろう」とし、ほかの文献も示しながら「これは多分、古代ギリシアの宗教上のカレンダーに使われていたものだろう」と推理しています。
(Perseus Collection,Greek and Roman Materials, Apollodorus, Library, 3.4.2の注1
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Apollod.+3.4.2&fromdoc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0022と2.5.11の注
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Apollod.+2.5.11&fromdoc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0022参照

 1週間という私たちの繰り返し単位は、キリスト教の「天地創造にあたった神が、六日働いて七日目に休んだ」ことから、神の安息日としてお休みとする暦法ができたものです。紀元3世紀以前のローマ人は、八日を一週間とする生活をしていたそうです(ダニエル・ブアスティン『大発見』鈴木主税・野中邦子訳、集英社、1991.3,p.26)。農民は畑で七日間働き、八日目には市の日である町に出かけるのを日常としていたといいます。ひょっとしたらローマ人は、八年を周期とする古代ギリシアの宗教上のカレンダーを参考にしたのかもしれません。

●第一巻十三644C-D(p.71)の読みについて、詳しい説明が欲しい、とのご質問があり、原語のもつ意味の広がりを押さえて解説いたしましょう。

思わく:δόξα どくさ、思い込み、考えが「~がち」になること
将来の:μέλλω そうなるだろう、そうなると推察される
予想:ἐλπίς 希望、期待
恐怖:φόβος ⇒悲観的な思い込み
大胆:θάρσος 勇気、大胆、向こう見ず ⇒楽観的な思い込み
ロギスモス:λογισμός 計算すること、推量すること
ドグマ:δόγμα 思い込みによって作られた考え方
共通の:κοινός
国家の:πόλιςの ⇒みんなの
法律:νόμος 決まり、習慣
 
 この部分は、次のように意訳すると、原意が伝わると思います。

 私たちは、将来のことについて、苦しいことは悲観的に考えがちだし、楽しいことについては楽観的に考えがちになります。そして、その将来のあり方のどちらが善いのか、悪いのかを絶えず計算し、どの道を選ぶかの判断をしています。ある判断が、みんなの共通の考え方になると、そのようにすべきだという「決まり」が生まれ、「ノモス」(法)と名づけられるのです