1、こんな話を聞いて誰かに話したがらない人などいない

「なにか作品を読んで、その背景になっている土地を自身踏んでみたいような衝動を感じるのは、確かに楽しいことの一つである。文学的仮象を何でも現実と思いこみたがる少年時代にはたえず体験することだが、そういうことは年齢と共にだんだん稀になってくる」の書き出しで、エッセー「『遠野物語』から」を綴りはじめた桑原武夫は、読み進むうちに「人煙の希少なること北海道石狩の平野よりも甚だし」と表現された遠野地方を一見したくなり訪れています(柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波文庫、pp.305-307)。
 
 多くの人が同じ気持ちで遠野地方を訪れていると思います。「山の神、山女、雪女、天狗、河童、ザシキワラシ…」などの話は、いわば「地方」のどこにも存在する民話の類ですから、ことさら遠野に限るわけではないにもかかわらず、遠野がこうした「妖異話」のメッカとして注目され続けているのは、柳田の『遠野物語』によるところが極めて大きいと言って過言ではないでしょう。

 「この話はすべて遠野の佐々木鏡石君より聞きたり。…国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」(p.7)と、序文の冒頭を書き出していることからわかるように、柳田は文学仲間でもあった佐々木鏡石から遠野の民話を初めて聞いたとき、驚愕したに違いありません。「こんな話を聞いて誰かに話したがらない人などいない」(p.9)と断じ、『今昔物語』などと違って「これは目前の出来事である」「現在の事実」(同)とまで言っているからです。

 播磨国(兵庫県姫路市)の医者兼漢学者の六男として生まれた柳田は、十五歳のときから東京の兄の家に同居して文学を志す一方で、一高、東京帝大政治科を経て、25歳のときに農商務省農務科に勤務します。森鴎外、田山花袋、尾崎紅葉らと知り合い、短歌、新体詩を発表。34歳のときに文人仲間から紹介されたのが10歳年下の佐々木鏡石(実名、佐々木喜善)でした。

 「佐々木の話を聞いて、おそらく柳田は獲物を見つけた狩人のように喜びをおさえるのに苦心したであろう」と桑原は書き(p.326)、「この素朴な宝の持ち主を」毎月2日の夜に家に招いてその話を筆記し、まとめたのが『遠野物語』なのです。典型的な「平地人」である柳田は、「この書を外国に在る人々に呈す」とも巻頭に書いています。その意味するところは何なのでしょうか。