1、アショカ王の金言

 アショカ王は不寛容(intolerance)に反対し、ある社会グループや宗派の人たちが他の人たちの考えに反していることがわかった場合でも、「他の宗派の人たちは、いかなる場合も、いかなる点でも、十分に尊重されるべきである(should be honored)」と主張した。このような助言を与える理由の一つに、「他の宗派の人々もすべて何らかの理由で尊重される価値がある」という認識がある。
            (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.129)

●アショカ王(B.C268-232頃)インドのマウリア朝第三代の王で、インド亜大陸をほぼ統一した。仏教を守護した大王として知られ、法「ダルマ」による慈愛の政治を目指した。

<対話から>アショカ王の「寛容の精神」に対して、一人が「寛容は相対主義に陥るのではないか。結局、相手を利することにつながるのでは」と寛容のマイナス面を指摘したことをきっかけに、さまざまな意見が交わされました。「寛容は共感とは違いますよね」「チャンドラーがこんなことを言っています。強くなければ男ではない。やさしくなければ男として価値がない」「ぼくはいわば寛容の反対みたいな人間で、じれったくて我慢できない。すぐ、怒ってしまう。しかし、世の中には、どのような状況においても相手を怒らせることなく、うまくまとめていくようなひとがいる」「それは経験の蓄積がやらせるのではないか。豊富な経験がなくてもできるひとはいるだろうか」

★耳に心地よく響きやすい「寛容」に対する抵抗が出されたことで、議論が豊かな広がりを持ち始めました。ここで使われている「不寛容」の原語は「intolerance」です。

 tolerance はラテン語の tolerantia(忍耐)由来の言葉で、toler(ate)(耐える)+-ance(性質・行為)を意味します。翻って、つぎのような意味の広がりをもちます。
                      (電子版ジーニアス英和辞典)
1、(~に対する忍耐(力)、我慢 2、(宗教・人種・行為に対する)寛容、寛大さ;許容、容認 3、[医学]耐性、耐薬性、抗毒性
これに対して、日本語「寛容」の意味空間はかなり違った響きを奏でます。
1、 寛大で、よく人をゆるし受けいれること。咎めだてをしないこと。
2、 他人の罪過をきびしく責めないというキリスト教の重要な徳目。
3、 異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人の差別待遇をしないこと。                           (電子版 広辞苑)

 英語のtolerance は「我慢」の色合いが強く、日本語の寛容は「赦し(許しゆるし)」さらには「受容」の意味合いが強い、といっていいでしょう。「寛容」の意味の捉え方次第で、相対主義の泥沼から抜け出す方図が見えて来るかもしれません。チャンドラーの名言にある「やさしさ」は、「我慢」と「赦し」の綱引きに、一石を投じてくれるのではないでしょうか。英語の「honor」(尊重する・尊敬する)から見えて来るものはどうでしょうか。次回以降の「寛容」をめぐる対話の発展が楽しみになりました。