1、アテナイ人諸君とはだれのことか

 『ソクラテスの弁明』の冒頭は「アテナイ人諸君」の呼びかけで始まります。私は田中美知太郎訳(中公クラシックブックス)を使用しています。岩波版(久保勉訳)は同じ呼びかけで始まりますが、光文社版(納富信留訳)は「アテナイの皆さん」となっています。
この時、ソクラテスは

1、神を信じない
2、 若者を悪しく導いている

 の二つの罪で告発され、籤で選ばれた500人の裁判員の前で弁明することを求められていました。当時の裁判の形式は、告発人と告発された人間とが、直接お互いの主張を述べ合い、どちらが正しいか裁判員の判断を仰ぐ形式でした。
 
 法廷としての広場に居並ぶ裁判員たちを前にしていたソクラテスは、なぜ「裁判員諸君」と呼びかけずに、「アテナイ人諸君」と呼びかけたのでしょうか。
 
 これが第一回のテーマです。『ソクラテスの弁明』にはたくさんの解説書が存在します。その説明を借りずに、まずは彼の弁明の言葉の中から、ヒントとなる言葉ないし一文を取り出すことを第一回の課題と致します。
 
 「わたしをあなた方に向かって訴えている者は多数いるのでして、彼らはすでに早くから、多年にわたって、しかも、なに一つほんとうのことを言わないで、そうしているからです」

 「その連中は、諸君よ、もっと手ごわい相手なのです。それはつまり、彼らが諸君の大多数を子どものうちから手中にまるめこんで、ソクラテスというやつがいるけれども、これは空中のことを思案したり、地下のいっさいをしらべあげたり、弱い議論を詭弁したりする、一種妙な知恵をもっているやつなのだといった、なに一つほんとうのことはない話をしきりに聞かせて、わたしのことを讒訴していたからなのです。アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらしたこういう連中が、つまり、わたしを訴えている手ごわい連中なのです」(pp.6-7)
 
 以下、8ぺージ6行目まで、この「連中」のことが詳しく語られています。

 「そして、なんとも言いようもない、いちばん困ったことは、その連中がだれなのか、名前さえも、ちょうど一人喜劇作者がいることを除いては、知ることも口にすることもできないということです」(p.7)

 告発したメレトス、アニュトスよりも、アテナイの町中でこのような「噂」をばらまいてきた人たち、それが誰かもわからない「影のような存在」であるがゆえに法廷に引き出して弁明することもできない連中、すなわち裁判員の奥に存在するアテナイ人全体であるがゆえに、このような呼びかけをしたのです。

 さて、皆さんのお答えは?