1、ウイーンのモーツァルト

 ザルツブルク大司教との大ゲンカの末、24歳にしてウイーンに居を構えたモーツァルトは、「ぼくの仕事にとって、ここは世界で最良の場所」と、父への手紙に書いています。35歳で亡くなるまでに、モーツァルトはそのウイーンで13回も住まいを変えました。オペラ『フィガロの結婚』を作曲した場所であることから、一時「フィガロハウス」と呼ばれていたドームガッセ五番地の住居は、「モーツァルトハウス」と名前を変え、単なる記念館から、モーツァルトの人生そのものを浮かび上がらせるミュージアムへと進化してきました。  モーツァルトハウスの入り口

2モーツァルトハウス

 妻と子ども、召使いなど多い時には6人が居住したこの住宅は、宮廷の飾り漆喰職人があつらえた豪奢な天井のある寝室を含む大小6つの部屋をもち、台所や地下室もありました。この住宅に、父・レオポルトが驚くほどの家賃(父親の年収に匹敵する)を払っていたモーツァルトは、1784年から1787年までの2年と7か月、仕事に遊びに充実した時間を過ごしました。
 
 その後、トルコとの戦争などで貴族のパトロンを失ったモーツァルトは経済的に苦しくなり、転居を繰り返すことになります。「モーツァルトハウス」と街路を一本隔てて終焉の地があり、百貨店「シュテッフル」となった7階角で、モーツァルトは銅像となって葬儀場所シュテファン大聖堂を正面に見据えています。
1百貨店シュテッフル2百貨店シュテッフル
 百貨店シュティフル(左)の7階に飾られているモーツァルト