1、クサンチッペ登場

 皆さん、お久しぶりです。この講座も15年を過ぎ、初心に帰ってソクラテスに戻ることに致しました。全10回の総テーマは「気づき」です。ソクラテスの有名な「産婆」は、対話相手にさまざまな質問を浴びせて、自分自身の「無知」に気づかせ、「心のゼロ化」とも言える状態へと誘導することにありました。その状態が実現したとき、対話相手は自らのうちに「ソクラテスが宿った」と言えると思います。
 
 不詳、ソクラテスの弟子を自称する私ですが、そのような役割を担うことなどできるわけもありません。皆さんがご自身の無知を思い知らされることは珍しくはないと思いますが、その無知の自覚はソクラテス自身が到達した「無知の知」の心境とは多分離れていると思います。なぜなら、無知の自覚は、何か具体的なテーマや現象にぶつかったときに、「何だ、私ってなにも知らなかったのだ」「何という馬鹿なのだろう、私は!」などと感じても、その場しのぎに過ぎず、時が立てばその自覚は消えてしまうからです。私自身がその典型です。
 
 今回は、テキストとしてご紹介した池田晶子著『ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け』(新潮文庫)の一文を中心に、気づいたことを発表してもらい、それを主な題材として講座を進めて参ります。テキストの内容を理解しようとする必要は、必ずしもありません。たとえばテキストのタイトル「哲学は悪妻に訊け」から、皆さまのご夫婦の日常的会話を思い浮かべて、「これは我が家のいつものおしゃべりと同じ」と思い当たる方が少なくないのではないでしょうか。この本の趣旨は、理屈屋ソクラテスに対して、生活感丸出しのクサンチッペをぶつけることによって、女性哲学者の著者がソクラテス哲学の欠陥をいわば浮き彫りにする試みと言えます。

 「むしろ女性の方が、哲学の本質を内在している」とのメッセージが、このタイトルに伺えると思います。つまるところ、この本は、女性哲学者こその発想から生まれたもので、私どものような男性で哲学を試みている者は、思いつきもしない作品です。
 
 「気づく」の「気」(き)は、もともと「気(け)」から来ており、「ものの内部から外にたちあらわれるもの。内部にある精気が外に発するようすをいう」(白川静『字訓』P.318)とあります。「気」は「氣」から来ており、作りの「气」は、空に雲気のただよう形で、雲気は神気の現れる姿であり、その精気を養うものとしての穀物・食物を「氣」と言うのだそうです(同)。
 
 「気(き)」も「気(け)」も、実に豊富な造語に満ちています。
たとえば「気(き)」は、気が利く、気分、気にする、気を遣う…、「気(け)」は、気色ばむ、気配、気もない、…、などなど。
 
 まずは、お一人ずつ、思い当たる「気(き)」と「気(け)」の造語をあげてもらいましょう。ついで、テキストから気づいたことを発表していただきます。気づきの連鎖によって、一瞬でも自らのうちに「ソクラテスが宿る」のを感じてもらえたら、この講座の目的は達することになります。