1、ソクラテス産婆術の実相

          真理という子ども

 第一回は、次のような私の話から、始めさせてもらいました。

 ソクラテスは、産婆術で知られています。対話法によって、相手を真理に目覚めさせることから、真理の「取り上げ婆さん」、すなわち「産婆」というわけです。母親が実際の産婆であったことも、このような命名がついた由来でしょう。

 ところで、ソクラテスによって胚胎された真理とは、プラトンが対話篇『饗宴』においてディオティマに語らせている「突然見えてくる」究極のイデアのようなものなのでしょうか。つまりそれは、誰もがそれに目覚めた時には、同一の輝きをもった唯一の「真理」というわけです。私は、そうではない、と考えています。生まれてくる子どもが、それぞれの違いを持っているように、個々の真理への目覚めは、違っていいと思うのです。目覚めとは「はっと、気づく」ことです。長い間に、沈殿していた不可思議なX、もやもやとしていた得体の知れないXが、ソクラテスとの対話を通じて、突然、霧が晴れたかのように見えてくる、そのようなものだと思うのです。

 「ああそうか」「これだ」と思わず叫ばせる、それが真理への目覚めです。この目覚めは、必ずしもソクラテスを必要とするわけではありません。暗闇の水滴の音、暁の鳥の声、…人は、長い人生の中で「その瞬間」を体験することがあるのではないでしょうか。ソクラテスは対話によって、その目覚めを誘導する術を持っていた、そしてそれがソクラテスの産婆術だったと思うのです。

 「私を目覚めさせてくれる人は、誰もが仏さまだ」と、ある高僧が言ったそうです。ソクラテスの対話によって目覚めたとき、ソクラテスはこのような仏であり、誰もが他者にとって「仏になる」あるいは「ソクラテスになる」瞬間がある、と言えるのかも知れません。

 さてこの第一回で論議され始めたテーマは、「気が触れた友人に、借りたものを返すことは正しい行為か」でした。「借りたものを返すのが、正しい行為である」とするシモニデスの言葉を、「正しさ(正義)」の第一定義としたポレマルコス(ケパロスの長男)に対して、ソクラテスがぶつけた疑問です。昼食の場で一受講生が「貸し借りを契約と考えれば、ソクラテスは『契約』をどう考へていたのだろうか」とさらなる疑問を呈してくれました。さて、どうなのでしょうか。

 本日の第二回は、このポレマコスの答えに対して、ソクラテスが彼独特の対話術によって話をかき回し、その場にいたソフィストのトラシュマコスがソクラテスの話のやり方を強く非難する展開になっていきます。