1、小林秀雄作品のなかに「哲学」はあるか

 小林秀雄はもちろん哲学者ではありません。哲学研究家でもありません。それでも「哲学サロン」で彼の一文を取り上げるのは、「哲学する」ための素材に満ちている、と考えているからです。これから、5回にわたって彼の小品を読み進めながら、「哲学の種」を見つけていくことに致しましょう。

 さて、といっても、哲学とは何か、をそれなりに定義しておかないと、探索するのに困ってしまうかもしれません。そこで、まず「哲学」の定義づけから始めることにします。もとになるのは、ソクラテスとアリストテレスです。

 プラトンによれば、ソクラテスは何よりも「知」を愛する「知の愛好者」でありました。「知」はギリシア語で「ソフィア」、「愛」は「フィロス」、この二つを組み合わせて「フィロソフィア」、これが英語の「Philosophy(フィロソフィー)」、そのまま翻訳すれば「愛知」となるのですが、小林秀雄が紹介しているように明治時代に西周が「哲学」と訳して現代にいたっているわけです。

 「知」には「知識」(knowledge)と「知恵」(wisdom)がありますね。知識は「知る」(know)からきており、知恵は「wise」(賢い)ことから来ています。「賢い」は、「知識」や「体験」から、「どうすべきか」を決める能力ですから、知識よりも一段上の「人間力」であると言っても良いでしょう。「知識」には「体験」によって知るものと、書籍や口伝で知るものとがあることは言うまでもありません。

 つまるところ、「知を愛する」とは「知ることを愛する」であり、アリストテレスのよく知られた哲学の公準「哲学は驚きから始まる」につながってゆきます。驚く、ということは「知らないこと」への出会いですから、誰もが「何だろう」と考えます。そして、驚きのもとを「知りたく」なります。こうしてアリストテレスの有名なメッセージ「人は生まれたときから知ることを欲する」が出てくるのです。

 とまあ、こういうわけで、「何だろう」と思うことがあれば、それはすべて「哲学の種」になります。小林秀雄の作品を読み進めながら、皆さんが「えっ、どういうこと」「これって、どんな意味」「何か納得できない」「何かわからないけれど、感激した」などなど、そのような表現をまずはチェックしてください。そこから、哲学が始まります。

 新潮社の小林秀雄全集(小林秀雄全作品)は、全29巻+別巻4の33巻に上ります。「考えるヒント」のタイトルは、23巻「考えるヒント上」24巻「考えるヒント下」の2巻に分かれていて、文庫本「考えるヒント2」は「常識」を除いて24巻に掲載されています。
 
 私と小林秀雄の作品との関わりは『モオツァルト』(全集15巻)で、モーツァルトの弦楽五重奏4番ト短調k.516についてフランスの詩人アンリ・ゲオンが「tristesse allante(モーツァルトのかなしさはかけめぐる)」と述べたことを引用して、「確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と書き加えたことに感激したことから始まります。これはまことに名言で、私自身この曲を聴くきっかけとなりました。「甘く切ない」4番の響きに、「涙が追いつけないかなしさ」とは、こういうことなのか、と感得したものです。

<参考>1:登場人物の横顔

 小林秀雄の著作は、常に膨大な引用をもとに書かれているので、引用されている人物や書籍についてそれなりの知識がないと、文意をつかむのが難しいのが常です。「哲学」の項目に登場する「西周」と「伊藤仁斎」について、簡単に注釈しておきますが、彼らのことを何も知らなくとも、それなりの理解は可能です。あまり気にしないで、その「意」をくみ取ることに注力してください。もちろん、彼らのことに関心を抱き、調べていくのはご自由です。

●西周(1829~1897)

 フィロソフィーを「哲学」と訳したことで知られる明治の啓蒙家です。石見国津和野藩(現・島根県津和野町)の御典医の家柄に生まれる。藩校・養老館で蘭学を学び、1862年に幕命で榎本武揚らとともにオランダに留学、カント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。帰国後、徳川慶喜の側近となる。王政復古後、1870年から明治政府で文部省、宮内省などの官僚を歴任。1873年、森有礼、福沢諭吉らとともに明六社を結成、機関誌『明六雑誌』を刊行し、「洋字を以て国語を書するの論」を発表するなど、啓蒙家として活躍。「哲学」を始め「芸術」「理性」「科学」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など、哲学・科学関係の訳語を案出した(ウイキペディアより要約・解説)。

●伊藤仁斎(1627~1705)

 江戸時代前期に活躍した儒学者・思想家。京都に生まれ、孔子の教えを体系化した朱子学の学者だったが、「古学」を提唱し、朱子学の中心概念「理」に対して「情」の大切さを説く。『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と称す。仁・義・礼・智の芽生えともいうべき四つの心「惻隠(そくいん)の情(あわれみの心)」「悪を憎む心」「謙譲の心、物事の是非を見きわめる心」の四つ(四端=したん=の心)を唱える。(ウイキペディアより要約・解説)。

<参考>2 小林秀雄の魚釣り

 ところで、小林秀雄が書いている作品から私たちはいかなるメッセージを読み取ることができるのでしょうか。『モオツァルト』執筆のために、伊東の旅館にこもっていた時(昭和21年7月ごろ)の興味深い逸話を、大岡昇平の小品『再会』が伝えています(『モオツァルト』新潮文庫 解説pp.311~312)。

 停電が多く暗い蝋燭を囲んで大岡と美術評論家の青山二郎と酒を飲んでいた時のこと、青山が小林の作品は「魚を釣ることではなく、釣る手つきを見せるだけ。お前さんには才能がないね」と絡んできたそうです。小林は黙って聞いていたが、大岡によると「驚いたことに、暗い蝋燭で照らされたX先生(小林氏)の頬は涙だか洟だか知らないが濡れて居るいるようであった」というのです。

 この逸話は、小林作品の本質をついていて実に興味深いものです。「魚」とは作品のテーマのことです。たとえば「哲学」と題する作品を読んでいて、「哲学が釣れた」と、あなたがたは思いますか。それとも、「釣れるそぶりをしているだけ」と思いますか。