1、渋沢栄一と論語

1 .学びて時に之を習う、亦説ばしからずや
2 .過ちて改むるに憚ることなかれ
3 .三十にして立つ、四十にして惑わず
4 .義を見て為さざるは勇なきなり
5 .己の欲せざる所は人に施すことなかれ
6 .過ぎたるは猶お及ばざるがごとし
7 .民は信なくば立たず
8 .君 君たり、臣 臣たり、父 父たり
9 .巧言令色、鮮なし仁
10.我三人行えば必ず師を得

 と、予告では10回分を並べましたが、どうですか。知っていると思ったことでも、もう一度読み直してみると新しい発見があることはよくあることですし、間違いをしたら直すことがいいことは出来るかどうかは別にして当たり前、「三十にして立つ、四十にして惑わず」は、耳にタコができている、「過ぎたるは…」もしょっちゅう使っている、「民は信なくば立たずは、今回の総裁選で石波元幹事長が使っていた?「君 君たり、…」は、本分をわきまえよ、「巧言令色…」は口がうまいやつには気をつけろ、人が3人集まればそれなりに良いところのある奴がいる、と、まあ、付け加えることなど、ないじゃないですか。

 しかし、それではあまりにも芸がない。第一回目は渋沢栄一の「論語講義」から、なるほど「論語」はそのように読むのか、と思わせてくれるところを取り上げてみましょう。

「子曰く、君子は、器(き)ならず」(為政第二)

 「器」とは「うつわ」のことで、広く一般に言えば「道具」の総称です。君子たるものは、単なる道具であってはならない、が直訳です。君子とは、天下を治めるべき指導者のことですから、道具にはなり得ないはずですが、側近の言葉の丸呑みに型、人民に媚びて民衆の道具化になるポピュリズム的リーダーも十分考えられます。

 言うまでもなく、渋沢栄一(1840-1931)と言えば,幕末の志士から身を起こし、幕府側でありながら明治維新の動乱を乗り越えて、明治政府の財政を受け持つ官僚となり、のちに転じて財界人として銀行や証券業にかかわり、さまざまな企業の設立・経営にたずさわって「日本資本主義の父」と呼ばれる人物です。彼は「片手に論語、片手に算盤」の名言(『論語と算盤』ちくま新書、P.76)を残すほど、『論語』を終生の導き手として、その精神を自らの経営基盤に添えていました。

 渋沢は、「孔子は、地位のある立派な人物は器―つまり道具のようなものではない、道具を使う側の人であると述べられている。つまり、徳を治めた者が人を使う人間、技術や専門知識を修めた者が、人に使われる人間ということだ」と書き(『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社、p.51)、器ではない人物の例として、明治維新の三傑(大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允)の三人をあげています。

 いずれもNHKの大河ドラマ「西郷どん」に登場する中心人物ですが、このうち、西郷と木戸については、その見識と人物において文句なく「道具ではない人」と述べているのに対して、大久保利通の評価はなかなか興味深い表現になっているのです。
 渋沢は「大久保利通侯(内務卿)は、私が嫌いだった人で、わたしも酷く大久保候から嫌われた」と書き始め、次のように続けています。

「たいていの人はいかに見識が抜きんでていても、おおよそ心で何を思っているのかを外側から窺い知ることができる。ところが大久保候の場合、どこに彼の真意があるのか、何を胸の底に隠しているのか、わたしのような不肖者ではとうてい測り知ることができなかった。まったく底の知れない人であった。このため大久保候に接すると、何となく気味の悪さを感じてしまうことがあった。大久保候を何となく嫌な人だ、と私に感じさせたこれが一因なのだと思う」(p.52)

 渋沢が、大久保利通を「道具ではない人物」の筆頭にあげたのは、彼の「日常」からで、「『道具ではない』とは、彼のような人をいうのであろうと驚きの気持ちを禁じ得なかった」と告白するのです。どの「日常」のことを指しているのか、渋沢は何もあげてはいませんが、人を生まれや派閥で区別せず、私利私欲がなく、大局から国治を考えるその「日常」からの物言いだったようです。

 ちなみに、渋沢は勝海舟のことを、この三傑に比べると「どちらかといえば道具に近い面がある」と述べています(p.53)
 
 孔子の話に関連して、渋沢は明治時代の傑物たちの人物評価をしているわけですが、さて、皆さんの彼らの評価を聞かせてもらいましょうか。

<とりあえずの参考テキスト>

渋沢栄一『渋沢栄一の「論語講義」』(平凡社)
吉川幸次郎『論語の話』(ちくま学芸文庫)
安岡正篤『論語に学ぶ』(PHP文庫)
白川静『孔子伝』(中央公論新社)
石田琢智『面白いほどよくわかる論語』(日本文芸社) 
安岡定子/田部井文雄監修『絵で見る論語』(日本能率協会マネジメントセンター)