1、私生児として生れて

 レオナルド・ダ・ヴィンチのことはそれこそ百万言も語られていて、だれもが、かなりのことを知っていると思います。フィレンツェの近くのヴィンチ村で生まれたので、ヴィンチ村の(ダ)レオナルド。父親は、出世意欲にあふれた公証人のセル・ピエロ。母親カテリーナは、貧しい家柄のために正式な結婚が許されず、レオナルドが2歳のときにほかの男と結婚、レオナルドは祖父に育てられることになります。

Andrea_del_Verrocchio,_Leonardo_da_Vinci_-_Baptism_of_Christ_-_Uffizi

 12歳のときに、フィレンツェの工房・ヴェロッキオの内弟子となり、画家への道を進みます。20歳を過ぎたとき、師が依頼された祭壇画『キリストの洗礼』(右図、ウッフィツィ美術館収蔵)を描いたとき、背景とともにまかされた天使の一人(左側)のあまりの出来ばえに、ヴェロッキオが筆を折った、というエピソードが、天才レオナルドのデビューと言えるでしょう。

 それからは、皆さんの知るとおり、あの『モナ・リザ』と『最後の晩餐』の作者という古今東西一といってもよい絵描きであり、一方では飛行機からロボットの原型まで考案した科学技術者であり、「万能の天才」の名を欲しいままにしてきたのです。ある人が面白い問いを発しています。

 「ノーベル賞に、科学賞のほかに芸術賞があったとしたら、両方で受賞する歴史上の人物はだれかいるだろうか」(レナード・シュレイン『ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する』日向やよい訳、ブックマン社、2016.4、pp.14-17)

 もちろん、いるのはただ一人、レオナルド・ダ・ヴィンチというわけです。
これから、10回に渡って、この驚くべき天才の素顔に迫ってみたいと思います。私の知っている「レオナルド」など、この凄まじい「万能者」のほんのひとかけらに過ぎません。皆さん一人ひとりの「レオナルド」をパッチワークのようにつなげて、「わたしたち」のレオナルド・ダ・ヴィンチを作り上げていきたいのです。どうぞよろしく、ご協力のほど、お願い致します。