1の談論 数字9の謎とソクラテス流おもてなし

 前回は、新しいお仲間から貴重なご質問・ご意見をいただきました。お一人は、『法律』の冒頭注二○(p.397)にある、クノッソスのミノス王が9年ごとにイデ山の洞窟でゼウス話に教えを受けた、との話を取り上げ、「キリスト教では三位一体に象徴されるように、三に重要な意味を持たせている。9は3×3で生じる数。この古代ギリシア世界では、9にどのような意味があると考えられるでしょうか」との疑問を提示してくれました。もうお一人は、『法律』の内乱をテーマとした正義論に刺激されたお二人が、憲法改正と集団的自衛権をめぐって”激論“したことに対し、「新聞の論説のやり合いのようなやりとりに、いかなる意味がおありなのか、疑問があります」と、講座の一風景に疑義を出してくれました。まずは、このお二人のお話に決着をつけることといたしましょう。

 ホメロスやヘロドトスなど、この時代の詩・史書に目を通すと、いたるところで3や9に関係する数が出てくることに気づかされます。とくに目立つホメロスの例をいくつかあげてみましょう。

「すると皆で9人の者が、ずっと他人より先に立ち上がった。まず立ったのは武士たちの王アガメムノーンで…」(『イリアス』7.160。ヘクトルに対峙する勇者はいないのか、という声に答えて)

「三度まで、…全智の御神ゼウスはかみなりをとどろかせて、トロイアの人々に、戦況がまったく一変してトロイア方の勝ちになろうとの、前兆をお与えになった」(『イリアス』8.171)

「葡萄色なす海原のただなかに、まわりを海に洗われた、うるわしい豊かなクレタと呼ぶ地がある。…そこには90の町があり、…町々の中に大いなる町クノッソスがあって、そこは大いなるゼウスの友、…私の父なるミノスが9年の間治めていた」(『オデッセイア』19.163。再開した妻ペネロペに対してオッデッセイアが他人として語る話)。

「敷居に言って立ち、弓をためした。三たび曲げようとして、弓をふるわせたが、三たび、力を抜いた」(『オデッセイア』21.117。ペネロペの夫として立候補した一人が、オッデセウスしか弾けない弓をひこうとしてあきらめるシーン)

「すでにこの頃には大方のギリシア兵の槍は折れ、彼らは白刃を揮ってペルシア兵を薙ぎ倒していた。そしてレオニダスはこの激戦のさ中に、疑いなく見事な働きを示して倒れ、他の名だたるスパルタ人も彼とその運命を共にした。私はこれら勇名を馳せた人々の名を聞き及んでいるが、全軍300人の名前も私は聞き知っている」(ヘロドトス『歴史』7.224。ペルシア王クセルクセスの「不死部隊」との名高いテルモピュライでの戦い。スパルタ王の親衛隊は300人編成だった)

 実際には、3や9だけではなく、7や12もよく出てきます。ミノスがミノタウロスに捧げるために毎年アテナイに犠牲を強要していた若者の数は7人、「牛の皮を7枚張った盾」(『イリアス』7.243)「12の斧を射抜く競技」(『オデッセイア』19.569)

 興味のある方々は、じっくりとホメロスやヘロドトスあるいはトゥキディデス、プルタルコスなどに目を通してください。おどろくほど、こうした数字がでてくるはずです。

 さて、では、こうした数字は何か具体的な根拠のもとに使われているのでしょうか。ここでは、柳谷晃著『一週間はなぜ7日になったのかー数学者も驚いた、人間の知恵と宇宙観』(青春出版社、2012.6)を参考にして推理してみることにしましょう。

 「万物は数である」を教義とし、世界を自然数とその比で表せると考えたピタゴラス派の人たちが大事にした特別な数に、三角数と四角数があります。図のように、正三角形と正四角形を積み上げていくときに、頂点にあたる点が特殊な順列を作ります。

三角数は 1、3,6,10…
四角数は 1、4、9、16…

 これらの数を、特別な数と考えたのですが、とくに四角数は、次のように、それぞれが奇数の和で表せると同時に、おのおのが自然数の二乗になっており、最も大事にされたといいます。

1=1の2乗
4=1+3=2の2乗
9=1+3+5=3の2乗

 さらに奇数は二つに分けることができないので、2で割れる偶数よりも大切にされたそうです。9は四角数でさらに奇数ということで、特殊な数であると考えられていたのかもしれません。
日本では、言葉の語呂合わせで、4は「死(し)」に通じ、9は「苦(く)」に通じるから縁起が悪い、として避けられる傾向にあります。満点や満月に通じる10は、あとは欠けるだけだから、縁起が良くない、として、逆に9は満つるときにあるから、縁起が良い、という考え方もあります。ちなみに、三々九度(女性が三度、男性が三度、女性が三度の計9回盃から酒を飲む婚礼時の固めの儀式)の3と9は、奇数を陽、偶数を陰とする中国発祥の陰陽道からきたものです。

 お一人の苦言に対しては、この講座を私自身がどのような性格付けで、毎回、展開しようとしているのか、私自身の小論文

「哲学はエンタテインメントになり得るか」(『聖徳大学 言語文化研究所 論叢』18、2011.3)

をご紹介しながら、少しお話をさせてもらうことにいたしましょう。

 この小論は、ソクラテスがじつは稀代のエンターテイナーであったのではないか、との仮説のもとに、古代ギリシアの「シュンポジオン」(共同食事:みなで一緒に食事をしながら知的な議論を楽しむ場)が、いかなる形で展開されていたのかを、明らかにしようとしたものです。これはいわば、ソクラテス流の「おもてなし」です。酒宴の場を、知的な遊びへと転換し、人々の「本質への欲求」を目覚めさせようというのが、ソクラテス問答法のひとつのあり方だったのです。

 このような形の「知の交換」について、是非ともご意見をお聞かせください。