1神々に次いで尊敬されるものは魂である

 今期から、『法律』の第五巻の講読に入ります。第一回は、一から六まで、魂(プシュケーψυχή)のあり方について、アテナイの客人が、語っていきます。魂は神々についで尊敬すべきものなのに、私たちは自己の魂を真の意味で尊敬していると言えるだろうか、と客人は問いかけます。私たちは、物心つくころになると自分はなんでもできるのだと思い込み、魂に好き勝手のし放題をさせているのではないだろうか。どんな形にせよ、生きることがいいことだと思い込んではいないだろうか。こうしたことは、いずれも魂の尊厳を貶めているのだと、客人は語りかけていくのです。

 こうして、現代の私たちには耳の痛い話が続いていきます。いつの時代でもとかく「最近の若者は」と、若い世代の行動を年長者が嘆く風景が見られますが、客人はむしろ年長者が若者の見本になるように、常に襟を正して行動すべきだ、と説きます。世界のあちらこちらで頻発している排外主義に対しても、客人は「外国人は身寄りや、仲間がいないのだから、熱心に彼らを支援すべきである」と説くのです。

 客人は、もろもろの問題は、すべて人間に備わっている「自己愛」から来る、と断言しています。その結果、自分の無知を知だと思い込み、過ちを他人のせいにしてしまうことが起こるのだ、と客人は指摘します。

 さて、魂にとってどのような生き方が望むべきものなのでしょうか。客人に語らせているプラトンの考え方は、アリストテレスの中庸論に通じると言えるでしょう。それは、激しい欲望に陥らない「節度ある生活 σώφρων βίος ソーフローン・ビアス」です。魂を尊敬するとは、魂を大事にすることであり、それは節度ある生活によって実現する、とプラトンは考えました。

 「節度ある生活」は、「勇気」「正義」「思慮」と並ぶ徳性の一つ「節制」( σωφροσύνη ソープロシュネー)につながるものです。「ソープロシュネー」は、ほどよく控え目にして、度をこさず心の安定を大事にする心のあり方を意味します。

 今回は、節度ある生活について、私たち自身を振り返りながら、議論していきたいと思います。