1,おお、皮肉屋ソクラテスよ

 前回、私たちはソクラテスの生き方から思考法までを、プラトンの『ソクラテスの弁明』をもとに探索してきました。今回は、「芸術」を「科学」の端女(はしため)に貶めた元凶としてソクラテスを糾弾したニーチェ(1844-1900)を取り上げ、現代に通じる科学的思考の持つ落とし穴を探っていくことに致しましょう。
 
 ニーチェはライプツィヒ大学で学んでいた時に高名な古典文献学者リッチェル教授に見いだされ、その推薦により24歳でバーゼル大学の員外教授、翌1870年25歳の若さで正教授に昇進します。テキスト『悲劇の誕生』(秋山英夫訳、岩波文庫)は、バーゼル時代の28歳の時(1872年)に書き上げた処女作です。
 
 今期は、後に序論として書かれた「自己批評の試み」(1886年、同書pp.9-29)を取り上げますが、七項目20頁に過ぎない中に、本文のエッセンスが凝縮されている、といっても過言ではありません。序論の書かれたスイスの高地にあるジルス・マリアは、あの代表作『ツァラトゥストラ』を書きあげた(1883~85年)ところで、同書の第四部「より高い人間について」の言葉「君たち、より高い人間よ、わたしから学べー笑うことを!」で締めくくっています(p.29)。その意味では、『悲劇の誕生』はいわば、『ツァラトゥストラ』そのもののための序章であると考えても良いものなのです。
 
 ニーチェ自身が「激動の時代」と呼ぶ「普仏戦争」(1870.7.19~1871.5.10、フランス第二帝政の崩壊とプロイセン中心のドイツ連邦誕生を促した)の最中に書き上げたこの序文で、自身を「謎の好きな冥想家」と呼び「アルプスの一隅に腰を据えて、謎を解こうとひどく考え込んでいた」と打ち明けます(p.9)。「謎」とは、ギリシア人ならびにギリシア芸術が「明るい」と言われていることへの疑問であり、これを「謎」と呼んだのです。 
 
 ギリシア芸術の明るさは、太陽の神アポロンに象徴される、輝かしい明るさです。これに対して、ギリシア悲劇の中にうごめく、「なじみがなく」「まだ知られていない」神ディオニュソス(p.15)の「暗黒の世界」にニーチェは惹かれていたのです。ローマでは「バッカス」と呼ばれたこの酒の神は、酩酊したときの一種の狂気を象徴する対象でした。

 ギリシア人たちは「最も強く、最も勇敢だった時代」の「あふれるばかりの健康、生存の充実」にむしろ悩み、「自分から怖ろしいものを求め」(p.11)ており、それが「生存の過酷なもの・戦慄的なもの・邪悪なもの・問題的なもの」(p.10)、すなわちディオニュソスへの偏愛をもたらし、悲劇を生みだしたのではないか、とニーチェは結論付けます。
 
 「悪をなすのは無知による」とする考えを「道徳のソクラテス主義」(p.11)と名づけたニーチェは、これを「卑怯や虚偽に類する一種のずるさ」と指摘します。ソクラテスの方法論は、「愛知(フィロソフィア)」すなわち「哲学」(フィロソフィー)することによって「悪」は消えていく、との考えに等しく、知を最上位に置く「科学信仰」を生み出し、芸術を脇へと追いやる原因となった、とニーチェは断じるのです。
 
 これこそ「ソクラテスのアイロニー」とニーチェは結論しますが、さて、皆さんの考えは?