10、「他力」の美、「不自由」の美

 本日は、柳宗悦の『手仕事の日本』(講談社学術文庫)をテクストに、手仕事をキーワードとして「技術」の本質に迫ってみたいと思っています。

 柳は、民芸を支えてきた職人たちの特質をいくつかあげています(pp.239-240)。

① 伝統の力
② 仕事への誇り
③ 祖先の経験や智慧

 そして、彼らは「名で残ろうとするのではなく、物で残ろうとしている」(p.240)と説きます。これらを総称して「他力」(p.240)と柳は呼んでいる、と言ってよいと思います。「誇り」とは、自分の作ったものが、伝統や祖先を汚さないことに対する自負です。それは、他者の力のなかにいることを持って、最大の満足を得ることにほかなりません。だからこそ、誇りとは、他力の一種なのです。

 柳は、民芸の職人たちが作るものは「実用を旨として作られている」(p.241)ことに注目します。そして、「生活に交わることによって、かえって美が深まる」(p.242)と、断じます。柳の時代、鑑賞的な美術品は自由な芸術であり、民芸のような職人の作る実用品は「不自由な芸術」(p.243)と呼ばれていた、と言います。柳は、この「不自由な工芸」が軽く見られていたことに、大いに異を唱え、「不自由さがあるために、かえって現れてくる美しさがある」「色々な束縛があるために、むしろ美しさが確実になってくる場合がある」(p.243)と言います。

 不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って見ますと、まるで違う見方が成立ちます。用途に適うということは、必然の要求に応じるということであります。材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきるということであります。手法に服従するということは、当然な理法を守るということになります。人間からすると不自由ともいえましょうが、自然からすると、一番当然な道を歩くことを意味します。
                           (同書pp.243-244)

 自然の理法に従う、ということは、自然なる「他力」の理法に従うことにほかなりません。自然だけでなく、職人たちは伝統の理法、先人という他者によって受け継がれてきた理法、にも従っているのです。すでに述べたように、これもまた「他力」です。柳は、「他力」の議論を発展させ、実用品の美とは、「健康の二字に尽きる」(p.246)美である、と結論づけます。健康の美とは「正常の美」であり、仏心とは「平常心」である、と説いた中国・唐代の禅僧・南泉普願和尚(748~795)の言葉に通じていることを、柳は見出しています。

 柳は、こうした民芸論を発展させ「日本を健康な国にせねばなりません」と説きます。健康な国とは、民芸のような実用品を「生み、育て、日々使う」ような生活を人々が送る国のことです。柳の『手仕事の日本』は、とかく奢侈や流行に流れがちな現代人の生活のあり方に、一石を投じるものになっているとは言えないでしょうか。