10、「昭和の天才」仲小路彰の未来学「自愛即他愛」

 山中湖畔から少し入ったところに、いくつもの廃屋が木々の間に軒を並べる一角があります。ここで、戦中から戦後にかけて40年間にわたって哲学の活動を続けてきた、隠れた「万能の天才」がいました。いまや、荒れ果てて、見る影もありませんが、かつては総理大臣となった佐藤栄作を始め、財界の大立者が教えを乞う、一つの「哲学塾」がここに形成されていたのです。

 哲学だけでなく、作曲・作曲から戯曲にいたるまで、ここ山中湖の一角で多彩な活動を続けていた仲小路彰(1901-1984)の名前を知る人は、ほとんどいないかもしれません。しかし、聖徳太子からソクラテス、キリスト、マホメットにいたる聖人伝まで包含した彼の哲学は、地球環境から宇宙にまで思いを馳せた「未来学」として私たちの心に届くものになっています。

 仲小路彰『未来学原論』(みくに書房)からの一節「Ⅲ 没落する地球未来像ー現代文明の最後的矛盾」の「第一章 二十五時的世界のヴィジョンーC・V・ゲオルギュウ「二十五時」よりー」は、ルーマニアの作家コンスタンティン・ヴィルジル・ゲオルギウの作品『二十五時』(パリ、ブロン書房、1949 邦訳、角川文庫 昭和35年11月)を題材に、人間が技術の奴隷になっている技術優先社会に警鐘を鳴らしています。

 「技術奴隷」は、ボタンを押すだけで暖房も冷房も風呂焚きも、何でもしてくれる便利な道具の象徴ですが、それがいつのまにか私たちの世界を支配し、あたかも人間が技術のために奉仕している奴隷のような逆の様相を呈していることを、ゲオルギウは大戦後の4年目にして早くも描き出しています。

 二十五時とは、終末から一時間が経過した時と定義され、それがまさに「いま」であると、ゲオルギウは主人公に語らせています。そして、仲小路は、同書の核心である66頁―75頁の部分を要約して、第一章の一節「終末文明の奴隷」を「現代社会の生める畸型児ー技術奴隷ー」の表現で書き出し始め、次のような末路を描き出します。

 少しずつ、無意識のうちにも、現代人は自ら人間たることををやめ、技術奴隷たちの生活様式を採用してゆく。この人間廃棄の最初の兆候ーそれが「人間蔑視」だ。
                      (『未来学原論』p.462)

 第三章の「原子力世紀における人間の状況」において、原子力を、核融合による太陽エネルギー=神的ともいうべきエネルギー、として仲小路はとらえています(同p.504)。太陽は光と熱の形で地球にエネルギーを降り注ぎ、ソーラーは太陽の光によって発電し、水力は太陽熱による水の循環で発電され、風力もまた太陽熱による空気の流れを利用して発電します。したがって再生可能エネルギーとは、すべからく、太陽エネルギー、すなわち太陽の核融合反応によって生み出されるエネルギーが形を変えたものなのです。

 これを「宇宙力の放出」と呼び、「地球グローバリズムから宇宙コスミカリズムへ」が『未来学原論』のメイン・メッセージとなっています(同p.543)。仲小路は、宇宙時代のキーワードに「愛」をあげ、「愛は人間の生きるための精神的空気である」とし、「他を愛することは自らを愛することであり、自らを愛することが他を愛することとなる」と「自愛即他愛」を説きます。そして、この精神によって、「個と全、自と他、主観と客観等の対立する人間意識は、愛の放射能によって結ばれる」と高らかに歌い上げるのです(同p.506)。

 AIが人間の知能を追い越すとされる2045年のシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えたとき、私たちはAIの完全な奴隷と化しているのでしょうか、それともAIに愛を与えることに成功しているのでしょうか。