10、『勝利』:Lacrimosa(涙の日)

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 実は、この講座タイトルを「ミケランジェロwithモーツァルト」としたのは、ロマン・ロランがその著『ミケランジェロの生涯』(岩波文庫、高田博厚訳)冒頭の序に掲げた、ミケランジェロの『勝利』像についての次の一文を目にしたからであることを告白しなければなりません。

「フィレンツェの国立美術館に、ミケランジェロが『勝利者』と名づけた大理石像がある。立派な身体の裸体の若者で、せまい額に髪が渦巻いている。まっすぐに立って膝でひげの生えた俘虜の背中をふんまえている。俘虜は前のめりに牛のように顔を突き出している。けれども勝利者はそれを見ていない。粉砕する瞬間に、彼はやめる。悲しげな口元をゆがめ迷うまなざしをそらせる。腕は肩の方へ曲がっている。彼は尻込みしている。もう勝利を望んでいない。それは彼を不愉快にする。彼は勝った。彼は敗けたのである」(p.3)

 フィレンツェのヴエッキオ宮殿内博物館に飾られているこの彫刻は、モーツァルトの「悲しみ」と共有する人間存在の「哀しさ」を余すところなく伝えているのではないでしょうか。『勝利』の像の表情を見たとたんに、思い出したのは、小林秀雄がその『モオツァルト』(新潮文庫)のなかで「モーツァルトの正体と信ずるものを創り出している」(p.34)と吐露した義兄ランゲの筆による肖像画でした。
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 小林は「自分の孤独を知らぬ子供のような顔」と表現していますが、そうではなく「巨大な孤独に包まれている」人間の肖像に見えてしまうのです。これこそ、むしろ小林が「疾走する悲しみ」を感じ取った40番シンフォニーに重なる「悲しみ」そのものなのではないか、と。

 ロランは、最後までフィレンツェのアトリアに残されていた『勝利』像を、「これはミケランジェロそのものであり、彼の全生涯の象徴である」として、次のように続けます。

 「彼は力を持っていた。闘って勝つようにできている稀な幸運を持っていた。そうして彼は勝った。-だがそれが何だ?彼は勝利を望んではいなかった。彼が望んでいたものはそこにはなかった。ハムレットの悲劇!悲愴な天才とそうでなかった意志力との間の、やむにやまれぬ熱情とあえて求めなかった意志とのあいだの切実な矛盾である!」(『ミケランジェロの生涯』pp.3-4)

 苦悩の底にあるものが、「神の手」とさえ言われた大天才の「底知れない悲しみ」であったことに、ロランも気づいていました。ロランはそれを「悲しみの深淵」と表現し、『ミケランジェロ伝』を次のように結んでいくのです(p.134)。

 「この悲劇的な物語を終わるに際し、ある慎みから私に気になることがある。…
他の多くの著述者のように、私もまた、英雄たちの英雄的行為だけを伝えて、彼らの中にある悲しみの深淵におおいをかけておいた方がよかったのではないか?―いや、そうではない! 真実をこそ語るべきなのだ!…偉大な魂は高い山巓のようである。風が吹き荒れ雲が包んでしまう。けれどもそこでは他のどこよりも充分にまた強く呼吸できる。空気は清く心のよごれを洗い落とす。そうして雲が晴れると、そこから人類を俯瞰できる。…これが、ルネッサンスのイタリアにそびえたち、その苦しんだ横顔が空の中に溶けているのが遠くから見える、あの巨大な山岳であった」(p.134)