10、エルの物語―人生をどう選ぶべきか

 プラトンの『国家』は、どのような生き方が善いのかについて、深く考えさせるエルの物語によって最終巻が飾られています(614B-621D, pp.397- 418)。勇敢なる戦士であったエルは戦争で最期を遂げたが、死んでから十二日目に生き返り、あの世で見たさまざまなことを語っていきます。エルの証言によれば、冥界で難行・苦行を体験したあと、私たちは生まれ変わる準備として女神から籤と人生の見本を受け取ります。

 籤引きの順番で、目の前に置かれた人生のなかから、なりたい人生を選んでいきます。生きているときのあいまいな記憶に左右されながら、選択する人生がどのような運命をもたらすかはわからないようになっているのです。ある者は栄華な生活を夢見て「僭主」(いまでいえば、一国のトップか企業のトップにあたるでしょう)を選びますが、その人生が過酷な試練をともなっているものであることは気づく由もないのです。

 現代社会における私たちの人生選択も、実は、同じようなものなのではないでしょうか。人は、一見華やかな仕事・職業に就くことを夢見ます。それは、どれも基本的にはソクラテスが退けようとした地位や富、名誉にかかわってくるものです。華やかさの陰に隠れたその人たちの人生にまつわる苦渋で過酷な試練を、私たちは見ることができません。どんな人生を選ぶにしても、現実にその人生を歩く中で、私たちはそのような体験をし、ときに、その選択を恨めしく思ったりするのではないでしょうか。

 未来は見えているようで見えません。何においても私たちは、生きている「今」のその瞬間において、どの選択が最善であるかを、常に自問自答しなければならないのです。その瞬間、瞬間の判断の積み重ねが「人生」を形成していくのです。「今」とは、過去の私が消滅し、未来の私が出現する境界である、と言えるでしょう。

 この回は、皆さんお一人お一人の人生を振り返っていただきましょう。いつごろ、どのようにして、ご自分の人生を選ぶことになったのか。その選ばれた人生は、選んだ時点と実際にその人生を歩んだ後では、どのような違いがあったのか。いまこれから、ほかの人生を歩むことができるなら、どんな人生を歩んでみたいか。自由にお話をしてもらうことにいたしましょう。

 ある読書会で、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を読む機会があり、欧米人と日本人との大きな違いを教えられました。彼女は、欧米人は善と悪を生きる基準として、常に善い方向に進むのが行動の基本的原理だが、日本人は、義理と人情、忠と孝、義理と義務といった二つの価値観の板挟みになって逡巡するのが行動原理になっている、というのです(ルース・ベネディクト『菊と刀』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2008.10, pp.314-315)。
 
 つまり、日本人は善いか悪いかで判断するという基準で行動していない、とするこの指摘には、目を開かれました。私たち日本人には、人生の選択にもおそらくこうした二つの価値観の「板挟み」がつきまとい、それどころか、日常のちょっとした行動においても大なり小なりこの板挟みのなかで揺れ動いているのかもしれません。