10、孔子の遊と楽

 前回は、戦前の修身の教えが、皇国史観・天皇崇拝と密接に結びつき、空襲のときなど学校の金庫に納められた天皇の写真と教育勅語を持って逃げた、と言った話が皆さんから披露され、最近の道徳教育復活とつながることの危惧が出されました。

 最終回は、白川静の「文字逍遥」に「遊び」の原意を尋ねた「遊字論」があり、その一節の項目「孔子の遊」のお話です。それによれば、孔子が求めた最高の境地は、「述而7-6」にある「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」にあるというのです。この箇所を、井波律子は「大いなる道に志し、徳を根本とし、仁をよすがとし、六芸に遊ぶ」と訳し(「六芸」とは身体性に関わる「礼法」「音楽」「弓」「馬車扱い」「書」「算術」のこと)、この身体性の世界に遊ぶことを孔子は理想とした、と解説しています(『完訳 論語』岩波書店、p.179)が、白川は「遊ぶ」の意味をはるかに深い意味に見ています。

 「遊」の文字構造が「神とともに遊ぶ」の意味であるとの解釈から、「遊字論」の冒頭を、白川は次のように書き出しています。

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた」(『白川静著作集3』平凡社、p.9)

 白川によれば、「芸に遊ぶ」とは、単に身体性の世界に興じるのではなく、芸を通じて「神の世界と一体化すること」を理想とした、というのです。六芸のうち、孔子が最高の「芸」と位置づけていたのが「音楽」でした。

「子、韶を謂う、美を尽くせり、又た善を尽くす也」(「八佾3-25」舜の音楽の韶は、美の極みであり、善の極みだ。『完訳 論語』p.77)
「子、斉に在りて韶を聞く。三月 肉の味を知らず。曰く、図るらざりき 楽を為すこと の斯に到るや」(「述而7-13」斉の国で韶を聞き、そのあまりの美しさ、素晴らしさに魂を奪われて、三ヶ月間、当時、最高の食べ物であった肉を食べても、その味さえもわからなかった。『完訳 論語』p.186)

 そして、「子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(「泰伯8-8」)の一文へとつながっていきます。この部分は、井波訳「『詩経』を学ぶことによって精神や感情を高揚させ、礼法を学ぶことによって自立し、音楽によって教養を完成させる」(p.222)よりも、白川に従って、「言葉の世界で心を高揚させ、礼儀の世界で他者との関係を成立させ、音楽によって神との一体化がなる」と訳すのが当を得ていると思います。

 巫女の庶子だった孔子が子どものころ神様への捧げ物遊びに興じていた話は、「白川静の孔子」のところで紹介しましたが、長じてから音楽に出会った孔子は、神へ近づく道が音楽であることを知ったに違いありません。

 遊びが神事と関係のあることは、日本でも同じだったようで、古代の律令世界に存在した「遊部(あそびべ)」なる職業集団は、神事にかかわる人たちで、貴人の行為に「遊ばす」が使われるのは、遊ぶことが神の行為であることから来ている、と白川は解読しています(『白川静著作集3』p.24)