10、心のオートポイエーシス

 生命体の存在の有り様から導き出されたオートポイエーシス・システムは、「自立性」「固有の境界をもつこと」「自己を再創出すること」をその特徴としてもっています。嘘つきパラドックスのような堂々巡りの輪「自己言及性」から導き出された概念ですが、自分が自分を生むメカニズム「自己創出」のアイデアに転化することによって、いわば「自己」が再生産されるダイナミックなシステム原理として生まれ変わったと言えるでしょう。国家権力機構や天皇制もまた、同質な個を再創出することによって維持されるオートポイエーシス・システムであることも、前回に示されたのでした。

 私たちの心は、どのように他者の影響を受けようと、誰とも異なる「私の心」「あなたの心」として、自立して存在します。心が個々の肉体を離れて存在し得ない以上、心もまた肉体という境界を持っています。心もまた、自己を再創出するメカニズムを持っているとするならば、心もまたオートポイエーシス・システムであることが示されるはずです。

 アリストテレスの可能態と現実態の考え方から、心のオートポイエーシスへとつなげていくことはなかなか魅力的です。人間は、可能態としての赤ん坊から成熟した現実態としての大人へと形成変化していきます。最終形態としての大人は、いわば人間個体の目的です。人間としての能力を開花させるが故に、大人は私たちのゴール、目指すところの目的となります。

 この間、生命体としての私たちは、食物の形で日々取り込んでいるさまざまな栄養をもとに、部品である細胞を絶えず再創出しながら、ひとつの身体システムを維持しています。心は、体験と知識・情報の取り込みによって、心としての機能を保ち、身体が成長するのと同じように成長していきます。

 さて、心にとっての大人、つまり現実態とは何かを考えてみましょう。心もまた実質的に白紙の状態から日々成熟を重ねていきます。ある時期に成長が止まり、やがて衰えていく身体と比べると、体験・知識・情報が積み重なっていく心は、永久に成熟を続けていくように見えます。心の現実態とは何であるか、の問いは、心が向かうべき最終形(テロス:アリストテレスの言う目的因)は何か、の問いに答えることと同じです。

 それこそは、「最高善」の達成された状態にほかならないでしょう。日々の行いにおいて常に「自己への気遣い=エピメレイア」を説いたソクラテス(プラトン『アルキビアデスⅠ135E』など)も、人間の使命を「完成へ向かっての進歩」(カント「人類の歴史の憶測的な起源」『永遠平和のために』中山元訳、光文社、pp.84-85)と位置づけたカントも、その目指すところはともに究極の善なる行為でした。

 ソクラテスやカントが目指した心のあり方は、行為・行動となって、他者へと働きかけていきます。その善的行為は、人々に同じような行為・行動を促し、善が善を生み出すオートポイエーシス・システムとして完成するのです。仏教の悟りの理念「衆生のすべてが悟らないかぎり、我(仏)の悟りも実現しない」(『無量寿経』)も、「悟り」を「最高善の創出」と見立てれば、仏教の世界もまたひとつのオートポイエーシス・システムと考えることができるのではないでしょうか。