10,神、徳、彼岸、真理などはすべて噓である

 いよいよ本日は、ニーチェの最終回です。今回は、彼のメインメッセージが語られている『この人を見よ』(「なぜ私はかくも怜悧なのか」十、pp.77∼81)を取り上げます。

 「いったいお前はなぜ、以上に言及してきた取るに足らぬ、…どうでもいいような事柄ばかりを物語っているのか」(p.77)と問いかけて始まるこの章は、「いままさに頭を切り替えるとき」(p.78)だとして、人類がこれまで大真面目に考慮してきた以下のことを「単なる空想」さらには「有害な人々の劣悪な本能から発した嘘の数々」(同)とまで言いのけるのです。
 
 その「嘘の数々」とは、「神」「霊魂」「徳」「罪」「彼岸」「真理」「永遠の生」などの概念(同)、なのでした。

 最大の攻撃対象であるキリスト教を念頭に置いての発言であるのは明確ですが、これらのテーマがいずれも私たちが一度は考えたことのある普遍的なテーマであることは言を待たないでしょう。

 最終回は、これらの概念について、どれでも結構ですので、「言いたい放題」といたします。ちなみに、私の考えを簡単にあげさせていただきます。

神 神はもはや信念や観念と言った世界の住人ではありません。神は目の前にあるリンゴやこの地球と同じような現実的な存在なのです。物質の根源が量子力学的な場であるように、神もまた「ダイモ―ン」の場として実在を持ちます。そして人間は神の場を感じとるたぶん唯一の「観測装置」なのです。
(茂木和行『木から落ちた神さまーウイトゲンシュタイン、キリスト&釈迦』毎日新聞社、まえがきp.3)
 
霊魂 アリストテレスが言っています。ソクラテスが考えているのとは反対に、霊魂(プシュケー)は身体の中に閉じ込められているのではなく、霊魂が身体を存在させているのだ。
 
徳 ソクラテスの言う通り、徳とは私たちが日々、最善を尽くすときに現れます。
 
罪 私たちが、日常の行為において、反省を強いられるときに現れる感情です。
 
彼岸 私たちの存在は、宇宙意識が現実化したものです。彼岸とは、私たちが帰る宇宙意識のことです。
 
真理 永遠に到達しない、物事の本質です。
 
永遠の生 生は、循環するがゆえに、永遠です。
 
 さて、皆さんのご意見を聞かせてください。