2、『バッカス』

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 前回は、システィナ礼拝堂の天井画『天地創造』をめぐるミケランジェロと教皇ユリウス2世との確執を描いた映画『華麗なる激情』を題材にして、ミケランジェロの彫刻作品の数々をまずは映像で見ていただきました。天井画の前に自身の霊廟を飾る彫刻群を作るように命じていたユリウス2世が、「石ころなどにはもう一文も使いたくない」と食事の場で話しているのを漏れ聞いてしまい、ショックを受けたことをフィレンツェ出身の同胞である教皇付き建築家のジュリアーノあての手紙で告白していることも紹介しました(『ミケランジェロの手紙』pp.12-13)。

 教皇のために、彼がカッラーラの石切り場から荷車94台分の大理石を切り出し、一隻分の船積みした大理石が悪天候のためにテベレ河に沈んで引き上げるのに大変な思いをしたなどの顛末が、フレデリック・ハート『世界の巨匠シリーズMichelangelo-the complete sculpture』に書かれています(pp.126-127).

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 この映画でもエピソード化されている神話「ミケランジェロは大理石の中に彫るべき彫像の姿が見えるので、それにしたがって彫るだけだった」は、事実とずいぶん違うことをこのハートの大著から見ていくことにしましょう。ミケランジェロは、解剖学を考慮しながらまず木炭や鉛筆、黒チョークなどで入念な素描を描き、それをもとに粘土で実物大のモデルを作り、石切り場でモデルに適った石塊を選別し、彫像の輪郭をその石塊に描いて石切人夫に渡します。

 こうして注文された大理石塊が到着すると、刻まれる像の主要見取り図をその上に木炭で描き、スッビアと呼ばれる尖った鑿で点状に穴をあけて輪郭を取ってゆき、最後に二種類のたがね(鋼製ののみ)を使って彫りこんでいくのです(同書pp.15-19)。
 
 ミケランジェロが21歳のとき、ローマに到達(1496年6月25日)した数日後、のちの教皇シクストゥス4世の甥にあたる枢機卿によって与えられた大理石から彫られたのが「彼が残した最初の大規模作品」であり「酒神の古代彫像中でも並ぶもの」がなく、「多くの点で…当時の時代より先んじている」(ハート、同著pp.70-73)と讃えられる『バッカス』です。
 
 バッカスは、古代ギリシアの豊穣とぶどう酒と酩酊の神ディオニュソスのローマ名です。ニーチェは、「理」の存在「科学の神」アポロンに対し、ディオニュソスを「情」の存在である「芸術の神」として重視し、そこに「生命の源をなす暗黒のエネルギー」を見ています。コンディヴィによれば、「かれは一生の間絶えず節制した。必要以上の楽しみのための食物は決してとらなかった。殊に仕事をしているときにはそうで、大方はパンのかけらで満足し、働きながらそれを食べていた」(『ミケランジェロ伝』p.102)そうですが、ワインだけは別物だったようです。
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 ミケランジェロの手紙には、フィレンツェの甥リオナルドから、トレッビアーノぶどう酒が44本も送られてきたことが頻繁に出てきます(『ミケランジェロの手紙』p.518、p.533 etc)。

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トレビアーノ・ワインの魅力 http://iewine.jp/article/982

 「われわれが確信できることの一つは、バッカスが統括するその素晴らしい液体の適量は、日々の終わりでのミケランジェロの一つの楽しみであったこと、したがってこの芸術家の私的な神殿においてはバッカスより気の合う神はありえなかった」(ハート『世界の巨匠シリーズMichelangelo-the complete sculpture』P.70)ことを、この『バッカス』の陶酔した“まなざし”は示しているように思えます。