2、ガリレイ「航海を変えたふりこ時計」

 異端審問の場で「それでも地球は動いている」との伝説化した告白を残しているガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、必ずしも発明家ではありません。前回の受講生の方の話を使わせてもらえば、「原理」提示者と言えるでしょう。戦争の道具にしか使われていなかった筒眼鏡(望遠鏡)を宇宙に向け、その詳細な観察の結果から、コペルニクスの地動説が正しいことを立証した科学者でした。

 ピサの斜塔からの落下実験(これもひとつの伝説ですが)によって、重さが違っても地面まで落下する時間は同じであることを示しましたし(実際は、斜面のレールの上で球体を転がす実験で確認)、ピサの寺院で揺れ動くランプの観察をヒントに、わずか19歳でふり子の等時性(吊り下げているひもの長さが同じならば、ひとふりする時間はいつも同じ)を発見しました。現在の基準からいえば、彼は「物理学者」であり「天文学者」でありました。
 
 ふりこの等時性の発見は、脈拍計を生み、土星の輪を発見したことでも知られるホイヘンスによって1657年にふりこ時計が発明されるにいたるのです。ちなみに、ふりこの等時性の話は、禁書となった『天文対話』にも出ています(岩波文庫p.344頁)

 ふりこ時計につながるガリレイの発見話は、ガリレイにとって「おまけ」のような話ですが、のちの発明につながる彼の発見は、いずれも彼の「なぜだろう」の姿勢が生み出したものであることは、発明のことを考える上で、忘れてはならない事実でしょう。

 ここでは、地動説の確証へとつながるガリレイの木星の観察記録を、大評判をとった処女作『星界の報告』(山田慶児・谷泰訳、岩波文庫)から見てみることにしましょう(pp.42-74)。

 1610年1月8日の午前1時、ガリレイはたまたま木星に向けた筒眼鏡で、木星の周囲に一直線に並んだ明るい小さな星を三つ見つけました。次の日の同じころに再び筒眼鏡を向けたガリレイは、小さな星の配置がまったく変わっていることにびっくりします。最初は、恒星だと思っていたガリレイは、観測を続けた結果、小さな星は都合四つあり、木星の周りを回っている衛星であることを確信するのです。見える数が変化するのは、木星の向こう側に隠れたときである、とガリレイは結論づけました。

 ガリレイの庇護者として知られるフィレンツェのメディチ家に捧げる意味で「メディチ星」と名づけられたこの小さく明るい星たちは、「イオ」「エウロパ」「ガニメデ」「カリスト」と名づけられ、通称「ガリレオ衛星」として知られているものです。ガリレイは、四つの星々が木星の周りを回っているように、地球を含めた惑星たちは太陽の周りを回っているに違いない」と結論し、コペルニクスの地動説の正しさを確信するにいたるのです。

 NHKの番組「それでも地球は動いた~ガリレオ・ガリレイの栄光と挫折」(松平定知キャスター)は、ガリレイの生涯と事跡を概観するのにわかりやすいので、見てもらうことにしましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=Cjqb7dSboOs

 ただし、この番組で、金星の満ち欠けからガリレイが地動説の正しさを確信した、とあるのは正しくなく、これは弟子のカステリの発見です。また、ガリレイ役でしばしば登場する端麗の紳士は、イタリア放送協会制作でNHKも放映(1972年)した『ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯』に登場するレオナルド・ダ・ヴィンチの映像の借用です。