2、デルポイの神託の意味を解読しよう

 今回のテーマは、ソクラテスが街中に出向いて、政治家、詩人、工人らに質問を浴びせて、その「知の内実」を問い詰めるきっかけとなった「デルフォイの神託」の意味を考えることでした。法廷のソクラテスによれば、かつて仲間内の一人だったカイレポンがあるときデルフォイの巫女に「ソクラテスより知恵のある者はいるか」と問うたといいます。

 巫女は「ソクラテスよりも知恵のあるものはだれもいない」と答えた、というのです。ソクラテスは、自分が知恵ある者だとは毛頭思っていませんでしたた。そこで、街中で「知恵のある」とされている政治家らのところに出かけては、彼らの知恵について問い詰め、彼らが答えられないところにまで追い詰め、何だ、結局彼らは何も知らないではないか、と結論付けるのです。
 
 ペロポネス戦争が終わって、一時はスパルタの息がかかった三十人の独裁支配となったアテナイは、再び民主制を取り戻したばかりでした。ソクラテスを告発した人々は、スパルタ時代に国外に逃れていた者たちで、カイレポンもそうした人たちの仲間でした。

 ソクラテスがカイレポンの話として、デルポイの神託の話を持ち出したのは、告発者たちに、ソクラテスの話の信ぴょう性に疑いをもたせたくなかった、からであることは間違いないでしょう。この法廷の当時、カイレポンはすでに亡くなっていましたが、彼の兄弟がこの話を事実だと認めた、とプラトンの『ソクラテスの弁明』には書かれています(21a)

 この探索がいわゆるソクラテスの告白「無知の知」につながっていくわけですが、似たような話が200年前から伝わっていたことが知られています。一つは「黄金の鼎」の話です。

 一人の青年がミレトスの漁夫から魚を一網分買う約束をして網を引き揚げたところ黄金三脚鼎が出てきて、これは誰の所有になるかが問題になりました。結局、デルポイの神託に伺いを立てたところ、「知恵において第一番の者が取るべきである」との答えが出て、鼎はミレトスの賢人タレス(あの、万物は水である、の有名な言葉を残している自然哲学者)に届けられました。しかしタレスは辞退し、鼎は当時名の通っていた七賢人(タレスのほかアテナイの立法者ソロンなど)の間を譲り合いによりぐるぐる回り、結局「神こそ知において第一の者である」と、デルポイのアポロンに捧げられた、というのです(田中美知太郎『ソクラテス』pp.133-134)。

 ソクラテスは当然この話を知っていて、カイレポンの話に「神より第一番の知者はいないはずなのに、なぜ、神は、私が一番だと告げたのだろう」と疑問に思い、神の真意を探りにアテナイの知者と言われる者たちに問答を持ちかけるきっかけとなった、というシナリオになるのです。

 「当時デルフォイは政治的にスパルタ側にあり、アテナイ市民が簡単にはいけないはずで、この話は、プラトンによる象徴としての創作ではないか」(納富信留『ソクラテスの弁明』光文社文庫、pp.121-122)の説もあり、クセノフォンの『ソクラテスの弁明』では、カイレポンの質問に対して神託は「人間たちの中には私よりも自由な者も、より正しい者も、より賢明な者も、一人もいない」と答えたことになっています(イシドア・F・ストーン『ソクラテス裁判』永田康昭訳、p.117)。

 さて、真相は?