2、プラトンの純粋直観が導いたイデアの合目的性

テーマ:音楽にも数学の放物線にあたる原型的な「形」があるのだろうか。

カントの言葉
「放物線や楕円という円錐曲線を、幾何学者は『そんな知識が何の訳に立つのか』と訝られながら熱心に研究し、それがやがて重力の法則を発見する導きとなった。古人はこうして、物の本質に合目的性のあることを知り、それが必然的なものであるとの思いを持った。すでにプラトンは、こうした物の根源的性質を発見するには経験を一切必要としない心的能力があることを知っていたく感激し、彼は経験概念を越えたイデアにまで思い至るになった。彼が幾何学に無知な者を彼の学園から放逐したことは、いささかも怪しむに足りない。要するに彼は、アナクサゴラスが経験的対象とこれらの対象が目的によって結合されていることから推論したところのものを、人間の精神に内在する純粋直観から導来しようとしたのである」(pp.15-17 の要約)

★サブ・テクスト
「ベンダ・ビリリ!もう一つのキンシャシャの奇跡」 
 http://www.youtube.com/watch?v=-aTf8ejdvKg
桑田佳祐「声に出して歌いたい日本文学<Medley>
 http://www.youtube.com/watch?v=GTP0WKJNx-g

 アフリカ・コンゴの首都キンシャシャで、フランス人の映画監督二人は、路上から聞こえてくる強烈な音楽に衝撃を受けた。それは、ギターをもった身体障害の路上生活者たちが出す音だった。二人は、この音を記録しなければいけないと強く思い、CD化を進めた。そして、さらにこの音楽を広めるために、それを創り、歌い、演奏する路上生活者そのものを映画にしようと考えた。
 カントは、プラトンと同じく、数学的な世界に一つのイデアを見た。野球のホームランやスペースシャトルが地上に落下してくるときに描く放物線の軌道、地球や惑星が太陽の周りに作り上げる楕円、こうした根源的な形は、経験を越えた本質的な「形式」(イデア)として、すでに存在している、と考えているのである。そして、経験以前に、このイデアは「人間の精神に内在」し、外部世界と触れ合うときに、「純粋直観」としてこのイデアを掴み取る力がある、と考えたのである。
 このイデアは、美の原型、あるいは根本形式、と呼んでも良い。では、音楽の世界(あるいは音そのものの世界)でもこのような美の根本形式であるイデアが存在するのだろうか。幾何学的な形が、ひとつの美を感じさせるように、私たちの誰もが感動する根本的な「音のかたち」あるいは「音楽のかたち」が存在するのだろうか。
 キンシャシャの路上で、二人のフランス映画監督を感激させたベンダ・ビリリの音楽は、この音楽的なイデアを持っており、それがこの二人によって「純粋直観」された、と言えないだろうか。もしそうならば、モーツァルトの音楽が人々に与える感動と、ベンダ・ビリリとの違いは、どこにあるのだろうか。それはいわば、楕円や放物線の違いのように、私たちの純粋直感がつかみとる無数の要素の一つ一つということなのだろうか。
 桑田佳祐は、なぜ中原中也の詩や太宰治の文章に「歌」をつけて歌いたいと思ったのだろうか。言葉の世界に潜在するイデアに共鳴し、それを彼なりに音へと変換したのだろうか。