2、依頼人ヴァルゼック伯爵とシュトゥパハ城

 ヨーゼフ2世崩御のあとの新皇帝レオポルト2世は、1791年9月6日、ボヘミア王としての戴冠式をプラハで行いました。その祝典用のオペラを依頼されたモーツァルトは、妻コンスタンツェを伴ってプラハへと旅立つのですが、レクイエムの作曲を依頼する「謎の使者」が訪れたのはその間近のことでした。

 依頼人をめぐる話は、かなり長いあいだ、それが誰かでさまざまな論議が交わされたようですが、ことの経緯を記した記録がウィーン郊外ヴィーナー・ノイシュタットの市立古文書館に残されていることが172年後の1964年に発見され、「なーんだ、そんな訳だったのか」と秘密はザ・エンドとなりました。          
                                シュトゥパハ城

シュトゥパハ城

 依頼主の正体は、セメリンク峠(世界遺産のセメリンク鉄道が走るアルプスの難所で知られる峠です)を遠くに望む田舎貴族シュトゥパハ城主のヴァルゼック伯爵です。彼にはなかなか高尚な趣味がありました。チェロとフルートを自ら演奏するアマチュア音楽家である伯爵は、契約したプロの演奏家ともども毎週2回、四重奏曲をたっぷり三時間かけて演奏を楽しんでいたのです。ちょっと問題なのは、著名な音楽家に作曲を依頼し、それを自作として演奏するというあまり好ましくない性癖があることでした。
                             
 その彼に、若く美しい妻がおりました。1791年2月14日に、その妻が20歳の若さで亡くなってしまいました。伯爵は大いに嘆き悲しみ、1790年7月14日に死去したオーストリアの英雄ロウドン元帥の墓碑をモデルに彼女の墓を3,000グルデン以上という大金をかけてウィーンの著名な彫刻家に制作してもらいました。そして彼女に捧げるミサ曲をモーツァルトに頼んでそれを自分で演奏し、彼女の魂に捧げる決心をしたのです。こうして、モーツァルトのもとに派遣されたのが、あの「謎の使者」だったという訳です。記録を残していたのは、ヴァルゼック伯爵の音楽サロンの一員だった地元聖歌隊の指揮者です。

 「たぶん」かもしれませんが、ヴァルゼック伯爵がモーツァルトを妻のためのレクイエム作曲者に選んだのは、英雄ロウドン元帥の蝋人形が飾られた蝋人形館用に作曲された「自動オルガンのための」幻想曲ヘ短調(k.608  1791年3月3日作曲)を聴いたからだという説があります。モーツァルトは、この蝋人形館に設置された時計じかけの自動オルガン用の曲を3曲書いていますが、その第一曲「アダージョとアレグロ」k.594(1790年12月作曲)について、気乗りがしない旨を、コンスタンツェあての手紙に書いています。

 「ぼくは時計製造師のためにアダージョを即座に書き上げて、それでいとしいわが奥さんの手のなかに、何ドゥカーテンかのお金を遊ばせようと固く決心し、事実、書き始めもしたのだ。―ところが、それはぼくにはとても嫌な仕事なので、最後まで仕上げられないのがひどくみじめになってきた。―それでも毎日書いてはいるけれどー退屈なので、いつも中断しなくてはならない。―そして、もしこんなに大事な理由のためでなければ、完全に放棄していたことは確かだ。―でも、なんとか少しづつでもやっつけたいと思っている。―そう、もしそれが大きな時計で、それ自体オルガンのように鳴り響くなら、ぼくもうれしいだろうよ。ところがその機械は小さなパイプだけで出来ていて、甲高い音で。ぼくには子供じみた響きに聞こえる。―」(1790年10月3日。フランクフルトからウィーンの妻への手紙)

 当時モーツァルトは、レオポルト2世のもうひとつの戴冠式「神聖ローマ皇帝」即位の式典(1790.10.9)に出席するため、開催地フランクフルト・アム・マインに滞在していました。このころ、モーツァルトはかなりお金に困っていて、少しでも生活の足しになればと、この仕事を気が進まないまま引き受けたようなのです。愛妻思いのモーツァルトが、この手紙にもふつふつと出ていますね。
 しかし、いやいや引き受けたとはいえ、さすがにモーツァルトです。二曲目にあたる幻想曲ヘ短調k.608になると、アインシュタインをして「純正で雄大。…アンダンテが反復するアレグロ部に囲まれている…それがなんという厚み、なんという感情の力、なんという細部の仕上げを持っていることか! 前後を囲むアレグロの中核はフーガで、これは多声音楽のあらゆる細工を持つ二重フーガに強化されて反復される。…この作品は、最も微細な部分にいたるまで生気のあるメロディーの絶えまのない力強い流れである」と絶賛させているのです(『モーツァルト―その人間と作品』白水社、p.367)。

 この曲をちょっと聴いてもらいましょうか。

W. A . Mozart : Fantasie in F minor for organ https://www.youtube.com/watch?v=C5M9KsJ3qRM

 どうです。あたかも、バッハのオルガン曲『前奏曲とフーガ』を彷彿とさせるような力強さと迫力でしょう。ベートーベンが交響曲第三番変ホ長調『英雄』の第2楽章ハ短調「葬送行進曲」の参考にするために、この曲の写しをとったというのも頷ける話です。まして、ヴァルゼック伯爵がこの曲を聴いて愛妻のためのレクイエム作者に決めたとすれば、なおさら頷ける話ではないでしょうか。

 参考文献:ロビンズ・ランドン『モーツァルト最後の年』(海老澤敏訳、中央公論社、2001.2)、ダニエル・N・リーソン『モーツァルト レクイエムの悲劇』(楠瀬佳子ら訳、第三書館、2007.12)、『モーツァルト書簡全集Ⅵ』(海老沢敏・高橋英郎編訳、白水社、2001.6)