2、倍返しの動物像

 前回は、拙文に対しての皆さんからの声を聞かせてもらいました。「哲学はむしろ、つまらないことを忘れるのではなく、つまらないことから違った世界を見つけるような試みではないでしょうか」と、きついお言葉をいただきました(三上)。

 「疑似餌で2回だまされたコイが、餌を食べなくなって死んでしまった、という釣り堀のコイの話を聞いたことがあります」(畠山)「動物は、たとえ蟻でも記憶においては実に優れたものをもっています。考えるかどうかは別として、少なくとも学習能力はあるのではないでしょうか」(奥田)「哲学者ドゥルーズの『千のプラトー』を読んでいますが、そのなかに『動物になる』の膨大な一考があります。動物は大きな流れの中にあり、人間もその一つ、とか」(中田)

 三上さんのご指摘は、まことにその通りで、アリストテレス(BC384-BC322)が引用している自然哲学者ヘラクレイトス(~BC540-BC480)の話を思い出します。ある時、この高名な哲学者がギリシアの首都アテナイに来ていることを知った人々が、素晴らしい話が聞けることを期待して訪れると、台所にいるヘラクレイトスを見つけます。女性が入るところにこの大哲学者がいることに疑問を抱いて「なぜ、台所などにいらっしゃるのですか」と尋ねると、「こんなところにも、神(真理)はおられるのですよ」と、答えたという話です。

 アリストテレスは、この紀元前の時代に、動物の解剖まで行い、生命の秘密をかぎ取ろうとした人です。ヘラクレイトスの話は『動物部分論』で紹介されているものですが、同じ本にこんなことも書かれています。大きな動物たちを解剖したがる弟子たちに対して、「君たちね、蛆虫の中にだって、真理は隠れているのだよ」と諭したそうです。この話は「真理は細部に宿る」との格言で世に普及していますね。

 ジル・ドゥルーズ(1925-1995)は、20世紀の現代哲学を代表するフランスの哲学者です。『千のプラトー 資本主義と分裂症(中)』(河出文庫、宇野邦一ら訳)は、盟友・精神分析学者ガタリとの共著で表した資本主義の本質を問う大著です。樹木と対比して秩序をもたないように見える雑草型組織体を「リゾーム」と名付け、無数の雑草型組織体によって出来ている無数の上部風景を「プラトー」(丘)と呼びました。

 10章の「動物になる」には、人間が戦場で狼にもなれば猫にもなり(p.170)、日常においても、キリンであるロレンスのことは犬である人たちには理解できない(p.415)、など、「動物になる」人間のさまざまな風景が描かれています。

 資本主義は、一つの欲望する機械であり、その中に巣くう私たち一人一人が、欲望する小機械として働いているとするドゥルーズによれば、「動物になる」もまた、無数の欲望の一つだということになります。人間の無数の「動物になる」現象が無定形なリゾームとして現れ、それが一つの丘「動物になる」風景を作り出している、とするのがドゥルーズの主張です。

 たとえば会社という組織体には「狡猾な狼」も「主人に絶対服従のイヌ」も、「死肉をあさるハイエナ」も、それこそ千変万化の動物が存在します。倍返しで話題沸騰のテレビドラマ「半沢直樹」の登場人物に、あなたはどのような動物を見るでしょうか。