2、国家の基礎は富の公平な分配である(第五巻)

          ―運命(モイラ)に従えー

 今回は、国家の具体的な在り様についてアテナイの客人が述べていく第五巻七~一五(734E-747E)の解読です。節度ある生き方が、新しい国家の人々に求められる基本であることを確認したあと、国制と法律について、それがどうあるべきかが語られていきます。 

 まずは、リーダーの資質はどうあるべきか、次いで、国民の望まれる資質は何か、が語られていきます。その基準に合わない人々は、そのように仕向けていくか、だめな場合には、国外に出てもらうことになります。このある種の「仕訳」のことを、ここでは「浄め καθαρμός カタルモス きれいにすること、清浄にすること」と呼んでいます。英語ではcleansing と訳されています。大臣選抜時の政治家の「身体検査」のようなものですかね

 強調されているのは、過度な金持ちや過度な貧乏人を作らない、財産においてできるだけ差のない公平な分配を心がけた社会です。過去の歴史からみて、財産の多寡と配分が、もっとも争いの種になっているからです。大事なのは、欲望のコントロールであり、とくに過度な欲望をもたない生き方が求められます。それが、節度ある生活に結びつくからです。

 面白いのは、国家のなかの共同体(例えば、村)の人数を5040にする、ということでしょう。この数は、1,2,3,4、5、6,7、8、9、10のすべてで割り切れます。試してみてください。各人に分配される土地は均等でなければならず、その一単位の広さは、建設予定地の広さを5040で割った値になることになります。

 プラトンは、後年、「自然はすべて数を模倣している」とするピタゴラス派の考えにかぶれていましたから、国造りにもその考え方を持ち込んだのかもしれません。1から10のすべての数で割り切れる数5040が、現実にどのような効能を見せるのか興味深いことです。プラトンは、人口が増えたり減ったりしたら、この数に合わせるように、増えすぎたら産児制限や他国への植民に出し、戦争や洪水などで減少した場合は、本来なら向かいいれることのないような人たちでも、受け入れることもやぶさかではない、と言っていますが…。

 やむをえない場合には、運命にまかせろ、という考えは、詩人ヘシオドスの言葉「運命(モイラ)には神でさえも抗しえない」で表現されています(741A)。「モイラ」は古代ギリシアの人々が、神でさえも逆らえない「さだめ」とみなすものですが、もともとは「持分」「分」「分け前」の意味をもつ言葉です。神から人間に至るまで、それぞれに「持分」が与えられており、それを越えることはできない、ことから、「運命」あるいはときに「必然」の意味をもつようになってきたのです。

 人生には、どうしようもなくその方向へと導かれるがあります。そのようなときは抗うことなく、運命の声に耳を傾けろ、が、古代ギリシア人たちの生き方でした。「神でさえも従うのだ」は、おそらく強い力となって、彼らをある種の「運命論者」に仕立て上げたのでしょう。プラトンも例外ではなかったのですね。

 さて、あなたは、運命の声に従うほうですか、抗うほうでしょうか。あるいは、「偶然」(トゥケー)に身をまかすほうですか。運、不運の「偶然」の方は、神の仕業だとするのが古代ギリシア人の考え方でした。