2、外尾悦郎を織り込む

今回は、サグラダ・ファミリアの建築現場で、その外壁を飾る彫刻群の制作にあたっている日本人彫刻家の外尾悦郎の言葉を「ガウディ織り」に紡いでいくことにしましょう。

 『外尾悦郎 サグラダ・ファミリア ガウディとの対話』(宮崎真紀訳、原書房)の編者マルク・リマルガス・イ・カサスは、ガウディは垂直と水平の二要素をサグラダ・ファミリアでみごとに統合させた、と冒頭に書いています。垂直とは、神の元へ至る線であり、水平とは神の子として皆兄弟を意味しています。

 彼は、外尾悦郎のことを「彫刻という仕事を通じて、自分自身の存在を石という素材に移し入れている。人間らしく生きたいと思うなら、まさにこう生きるべきであろう。だからこそ彼は、生前のガウディが聖堂の内部に吹きこみ、いまも生き生きと流れる本物の生の息吹を受け取ることができるのだと思う」と言っています(同書、p.11)。以下は、外尾の言葉です。

 「神は前もってわたしたちの心の奥深くに、あるものを埋めています。それがどこにあり、どうやって埋められ、どうすれば見つけ出すことができるのか、わたしたちは知りません。でもそれは深遠なもの、わたしたちの真髄なのです。もし見つけることができれば、本当の自分自身と出会うことができる。この探究の過程こそが重要です。探す道すじそのものがあなたなのです。探究を試みなければ、何も始まりません」(p.14)

 「作品の一つひとつが、わたしにとってはガウディとの出会いでした。ドストエフスキーはこう言っています。『ミツバチは自分の巣の秘密を知っている。アリもまた同じ。だが、人間だけは自分の謎や秘密を知らない』」(p.20)

 「『なぜガウディは、先端を1センチに仕上げさせようとしたのだろう?』…ある日、ふと気づいたのです。葉の彫刻は装飾的な意味しかないと思いこんでいたが、じつは弱い部分に彫刻を配置することで強い彫刻になるのだ、と」(p.24)

 「ガウディが言っているように、自然が自由に設計するのに任せる、自然のメッセージに従うことで、わたしたちの知性は育まれるのです。これこそが究極の知性のあり方です。もし、自然に従わなければ、わたしたち人類は25世紀にはたどりつけないでしょう」(p.152)

 「基礎中等教育過程を終えた、14歳のときのことです。わたしが良い成績を取ったことを喜んだ父が『大人になったら何になりたい?』と尋ねました。子どもだったわたしは、無邪気に『レオナルド・ダ・ヴィンチになりたい』と答えました。…芸術家と科学者はけっして相容れないものではなく、むしろ手を携えて、この世界とは何かを探るべきだと思います。そういう視点が現代には欠けています。天から授けられたあらゆる素材を試さなければなりません。すべてを100%利用できれば、世界は変わるかもしれない。わたしたちはまだ、天恵のごく一部しか使っていないのです。ガウディは最大限にそれを追求しました。最大限の力を得、最大限の美を実現するために、最善をつくそうとしていたのです」(p.160)