2、多様は放埓と病気、単純は節度と健康

 前回(朗読3.386A-3.392C レジメ3.386A-3.405A)は、一受講生の「プラトンはホメロスにぞっこんだった」との発言に、「そうかなあ」「具体的にどんな」の声が寄せられました。彼の記憶では「『パイドロス』のどこかにそのような表現があったような気がする」そうですが、その『パイドロス』にはソクラテスがホメロスの「ゆめ聞き流しにせぬがよかろう」などの表現(260A)を巧みに織り交ぜてパイドロスを説諭する場面が散見されます。

 『ヒッピアス(小)』には、アキレウスとオデッセウスのどちらが賢いか、をめぐる議論に、ソクラテスはホメロスを使ってソフィストのヒッピアスを巻き込んでいます。「ぞっこん」だったのかどうかはともかく、プラトンがその対話篇でホメロスの作品を活用していることは確かでしょう。ある受講生は、「敗北や隷属よりも死を選ぶ人間」をプラトンが支持していると思われる箇所(3.386B)に注目しています。

 今回は、3.392Cの続きからの朗読ですが、レジメは前回を受けて3.405Bから3.408Cまででまとめてあります。

 『国家』におけるプラトンの基本的な考え方は「多様さは放埓を生む」であり、贅沢な食生活は病気につながり、これに対して「単純さは、音楽においては魂の内に節度を生み、体育においては身体の内に健康を生む」ということにあります(404E)。

 とくに興味深いのは、病気治療に対するプラトンの考え方でしょう。プラトンは、命を長持ちさせる養生法を開発した体育教師出身のヘロディコスに批判的で、「死と闘いながら長生きする」ことを皮肉交じりの「褒美」と表現し、「課せられた仕事をまっとうしながら、最後まで元気で仕事ができる」生き方を推奨します(3.406A-406.E)。医学の祖と讃えられるアスクレピオスが「定められた生活の課程に従って生きて行くことのできない者は、当人自身のためにも国のためにも役に立たない者とみなして、治療を施してやる必要はない」と、考えている(407E)ことを紹介し、これをもっともなことだとまで、ソクラテスに言わせているのです。

 第2巻で、国家の自然な成り立ちについて語ってきたプラトンは、自然発生的に生まれてくる食生活と、当時のアテナイで普通に見られる“ぜいたく”な食生活を比較していました(2.372A-2.373C)。ここでは、身体の調子を良くととのえようとするなら、贅沢の象徴であるシケリア料理や美味で評判のアッティカ菓子は避けるべきだとし、すぐれた身体づくりのためには単純素朴な食生活が良い、と勧めています(3.404B-404D)。『国家』ではホメロスを常に批判的に引用しているプラトンも、食事のことに関しては「ホメロスでさえ香味料のことを一度も語っていない」と好意的に書いています(3.404C)。

 ローマ時代のグルメ族からすると、アテナイ人の食生活は、簡素なものに見えたことを、2世紀のアテナイオス(日本の「名無しの権平」にあたる名前)が、その奇書『食卓の賢人たち』(柳沼重剛編訳、岩波文庫)で、「けちな食卓で葉っぱを食らうギリシア人。…一オボロス出して、小ちゃな切り身四枚買うだけ」と茶化し、いまから見ても恐ろしく豪勢な想定宴会の風景を描き上げています(「アテナイの食事の簡素さ」89-95頁。別紙コピー参照)。

 食卓にあがる90種を越える食べ物の数々には、プラトンでなくとも目を見張ります。