2、弦楽五重奏曲ト短調k.516 ―アンリ・ゲオンの言葉

    ―「生命そのものであると同時に、美そのもの」

 アンリ・ゲオン(1875-1944)は、私たち日本人にはおそらく『モーツァルトとの散歩』(高橋英郎訳、白水社)でしか知られないフランスの詩人・劇作家・小説家である。アンドレ・ジイドの親しい友人であり、二人で連れだってモーツァルトを聴きにいった間柄でもあった。ゲオンは、モーツァルトへの愛にあふれたこの著作(1932年刊行)の序言に次のように書いている。

 「死後すぐに高まった名声」は、いまや「《初心者用の練習曲》の最も人気のある提供者」に過ぎなくなり、彼を讃えている人たちも「《神童だって?しょせん子供じゃないか。われわれはれっきとした大人さ。子供たちはお休み!》」と何の怖れもなく語るようになっている、と。ベートーベンやワーグナーの陰に隠れ、下に置かれ、わずか二、三のオペラと四、五曲の交響曲、ミサ曲一つ、四重奏曲と五重奏曲もたった一つ、これがフランスにおいて演奏されるモーツァルトのすべてであり、本家ザルツブルクでも同じような状況である、とゲオンは慨嘆する。

 したがってゲオンのこの著作は、完璧なほどのモーツァルト讃美にあふれており、彼に冷たい時代に対する抗議の申し立てなのである。ゲオンは、モーツァルトが子供時代に発するのが常だった《ぼく好き?ほんとに好き?》を序言の最後にしたため、こう締めくくっている。

「好きだとも、ヴォルフガング・アマデオ!この上なく愛しているとも!…フェルメールよりも、ラシーヌよりも、シェークスピアよりも、フラ・アンジェリコよりも。いかなる天才よりも、いかなる人間の完成美よりも。あなたに白状しなければならぬが、私がここで告白するのは、ひとつの恋ごころにほかならない。あなたに捧げるこの本は、申しわけないことに、たったひとつのもの、つまり愛しかもっていないのである」(p.10)

 弦楽五重奏曲ト短調k.516は、そのゲオンがモーツァルトの最高傑作であり、真髄であると、考えている作品である。「5月16日、彼は神秘の奥に触れる第二作『ト短調』k.516を完成した」と書くゲオンは、モーツァルトの作品には常に「死の影」があり、これはそのなかでも「死の傑作」とまで呼んでいる。現実において、その一ヶ月半前に父のレオポルトが重態に陥り「死は人生の真の最終目標ですが、数年このかた、ぼくはこの真実の最上の友にすっかり馴れてしまったので、もはや死の面影はいささかもおそろしくないばかりか、大いに心を静め、慰めてくれます」とその父に手紙を書いたモーツァルトなのである(1987年4月4日)。父は5月28日、一人住まいのザルツブルクで寂しく死去する。

 父の死を予期しながら作曲されたこの五重奏曲のとくに第一楽章アレグロを、ゲオンは「他人によって凌駕されがたいと思うばかりでなく、モーツァルト自身によっても再び書かれることのない、唯一無比のものだと思う。音楽がこれと同じくらいに美しく、深遠なものを生みだすことは、なきにしもあらずだろう…。だが、これとそっくりのものは二度と生まれがたいのである」(p.251)と讃える。そして、次のように、激白するのである。

 これこそ、ひとつの楽章で充分であり、他の楽章はもとより、およそ人間の心情から発したあらゆる音楽がこの楽章の前に消え去るだろう。…このアレグロで歌っているのはまさにモーツァルト自身であって、彼の喜劇や四重奏曲を満たしている虚構の人物ではない。彼は第一人称の《私》で語りかけ、自分の心を明かしている。…それは迅速に進み、走り、駆けめぐり、ほとんど息をもつかせない。それは純音楽的にわれわれを感動させるメロディ固有の力にひたすら頼っている。それは生命そのものであると同時に、美そのものであり、すすり泣きであると同時に完成美でもある。…それは歌っているのか、嘆いているのかもはや判然としない、陽気な絶望であり、言いかえれば絶望的な歓喜である。…それは明らかに、現生への諦めと信仰への接近という二つの表情をもった死の影である」(pp.253-254)
 
 1787年は、プラハにおける『フィガロの結婚』の大成功で始まった。「なにしろここでは、話題といえばー『フィガロ』で持ちきり。弾くのも、吹くのも、歌うのも、そして口笛も…明けても暮れても『フィガロ』、『フィガロ』。たしかにぼくには大変な名誉だよ」(1787.1.15.プラハから、ウイーンの親友フォン・ジャカンへの手紙)

 モーツァルトは、妻・コンスタンツェと支援者トゥーン伯爵邸に滞在し、2月8日ごろにウイーン戻ることになるが、この間に興行師ボンディーニから依頼を受けたのがオペラ『ドン・ジョヴァンニ』である。4月には、ボンから青雲の志を抱いてウイーンを訪れた少年ベートーベンがモーツァルトを訪れレッスンを受けた、とされる歴史的な出会いがあった(4月7日から20日までの間)。ベートーベンがウイーンを発つ前日に、弦楽五重奏曲ハ長調k.515が完成している。この曲と弦楽五重奏曲ト短調k.516とは、「41番ハ長調ジュピター交響曲k.551と40番ト短調交響曲k.550との関係に似ている」(アルフレート・アインシュタイン『モーツァルト―その人間と作品』白水社、p.268)と、指摘されるものである。

 小林秀雄は戦後の焼け跡の大阪・道頓堀で聴いた40番ト短調交響曲にショックを受け、のちに名著『モオツァルト』の中で、この曲に「疾走するかなしみ」「涙は追いつけない」の名言を残すことになった。小林の「疾走するかなしみ」は、実は、ゲオンの弦楽五重奏曲ト短調に対する表現「tristesse allante」(流れゆくかなしさ)から取ったものであることを、ゲオンの『モーツァルトとの散歩』を翻訳した高橋英郎が明らかにしている(この間の事情については 茂木和行『モーツァルトは音楽のソクラテスである』聖徳大学言語文化研究所『論叢』2013.3 pp.48-49 をご参照ください)。
モーツァルトは音楽のソクラテスである」(『聖徳大学言語文化研究所論叢』20 二〇一三年三月)

 さてそれでは、弦楽五重奏曲ト短調を聴いてもらいましょう。このときのモーツァルトの心境は、「疾走するかなしみ」なのか、それとも「流れゆくかなしさ」なのか、少し古い録音ですが、ハイフェッツがチェロのピアティゴルスキーらと組んだ1961年8月(30, 31)の盤
  https://www.youtube.com/watch?v=UUxphbyTXF0
と、イタリアのヴァイオリニスト、サルヴァトーレ・アッカルド中心のメンバーによる盤
  https://www.youtube.com/watch?v=zrZ2hxYl2YY
を比較してみたいと思います。聴いてください。