2、旅行の目的である新しいオペラの成功に…

              (『旅の日のモーツァルト』pp.21-34)

 『旅の日のモーツァルト』には、経済的な困窮をどうやって好転させるか、外からの力を期待するコンスタンツェの夢想が、ありそうな話として綴られている。それが、モーツァルトがプロシア王室の音楽総監督になって、ベルリンで豊かで安定した生活を送っている、という夢物語である(pp.23-28)。

 モーツァルトは、1789年の春4月8日、音楽の弟子でもあるリヒノフスキー侯爵の誘いを受けて、プロシアへの旅を敢行した。彼の音楽を評価しているとされる皇帝フリードリッヒ・ヴイルヘルム2世(1744.9-1797.11)=フリードリッヒ大王の甥で、プロシア王を継ぐ=のもとで、うまくすれば宮廷楽長などのポストに就けるのではないか、との思惑があったことは容易に想像できる。モーツァルトはチェロを演奏する皇帝から、6曲の弦楽四重奏曲の作曲を頼まれたが、完成したのは3曲だけだった。これが、通称「プロシア王セット」と呼ばれる連作である(ニ長調k.575,変ロ長調k.589,ヘ長調k.590)。
 プラハにおいてモーツァルトと親交のあったチェコの音楽愛好家フランツ・ニーメチェクは、モーツァルトがフリードリッヒ2世から次のような話をされた、と書いている。
 
 あるとき彼と皇帝と二人きりになったとき、皇帝は彼に、ベルリンの楽団をどう思うかとたずねられた。およそお愛想などとは縁のなかったモーツァルトは答えて言った。「こちらのオーケストラは世界中の名人を一番多く集めています。カルテットもこんな素晴らしいのはどこでも聞いたことがありません。ですが、この皆さんが一つになれたら、もっと素晴らしいことができると思いますが」。皇帝は彼の率直さを喜ばれ、笑いながら彼に言われた。「私のところに居てほしい。きみなら彼らがもっとよくなるよう仕込むことができる。年三千ターラーをさしあげよう」「立派な皇帝を見すててよいものでしょうか」と正直なモーツァルトは言い、感激し、だまって考えこんだ。

 モーツァルト言及している「皇帝」とは、もちろんオーストリア皇帝ヨーゼフ2世のことである。モーツァルトは1787年12月から、年俸800フローリンでオーストリア王室の宮廷作曲家に召し抱えられていた。3,000ターラーといえばおおよそ2,700フローリンに相当するから、実に3倍以上の金額でスカウトをかけられたことになる。フリードリッヒ2世は「よく考えておきたまえ―約束は守るよ。なん年かたってやっと来ることになってもね」と結んだという。
 ニーメチェクの紹介しているこの話は、ありえない話、として後世の伝記作者一同からは一笑に付されているというが、ありえても不思議ではない話ではないだろうか。なにしろ、モーツァルトの死後の1792年、フリードリッヒ2世は未亡人となった妻コンスタンツェから彼の作品8曲を買い上げ、一曲につき実に3,500フローリンもの法外な大金を支払ってくれているのだから。