2、最大化と最小化の法則

 本書にとって重要なのは、人々は常に合理的に行動するという仮定ではなく、(人々はときには間違った判断をし、理性の命じるところに従わなかったりするものの)人々は合理性の要件から全くかけ離れているわけではないという考え方である。
       (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.266)

 今回は、第8章「合理性と他者」にかかわる問題です。経済学は、人間は合理的な選択を重ねることによってさまざまな経済指標の「最大化」や「最小化」を図ることができる、と教え、消費者による効用最大化や消費者による費用最小化、企業による利潤最大化、などをその例としてあげています(セン、p.262)。「最大化」と「最小化」は、数学における曲線の「極値」にあたります。たとえば光は、二つの地点を通過するのに、最小の時間しかかからないような経路を選びます。自然は無駄を好まないのです。
 
 しかし、人間はどうでしょうか。前期

平成25年度第Ⅱ期講座 正義のアイデアⅡ

の冒頭で、合理的な選択こそ社会を発展・向上させていくと考える人たち(「ホモ・エコノミスト」=利己的な経済人、とも呼ばれる)のことを、「合理的な愚か者」とアマルティア・センが名づけたことに触れました。合理性ばかりの追及が必ずしもベストな選択とは限らないことを、センはしばしば主張しています。これは、良いと思ってしたことが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない、人間社会のジレンマを象徴するものですが、そもそも人間の選択には非合理がつきまとっています。スーダラ節で一世を風靡した植木等のはやり言葉「わかっちゃいるけどやめられない」はその好個の例でしょう。これは、アリストテレスが提起して以来、いまだに論議の対象になっている「アクラシア」(無自制=自制の効かないこと)の問題(セン、p.264)です。
 
 センはかねてから「共感」と「コミットメント」(かかわり)の二つの概念に重きを置いています。他者の言動を認める行為には、人間社会からいたずらな軋轢をなくす効果があると、センは言いたいのです。だからときには「他者がしたいようにさせよ」と判断して、彼らの生き方を容認するのでしょう(セン、p.287)。人間の弱さも、私たちに「寛容」や「忍耐」、あるいは「おもいやり」などをもたらし、社会全体をまろやかにする力があります。人間社会は、最大化や最小化よりもむしろ、「無駄」(非合理な判断や行為)を交えた「最適化のモデル」をこそ必要としていると思うのです。

 アダム・スミスは、パンや肉が売れるのは、生産者と消費者のそれぞれの「自己愛」の結果だ、という皮肉な見方を披露しています。そのスミスは、私たちが行動の選択をする動機として、「人間愛や正義や寛容さや公共心」、さらには「共感」などをあげていますが、合理的な選択とは、「人類」そのものの生き残り戦略である、と見れば、そうした選択の動機も所詮は自分たち(人類)だけの「利己的」なもの、と言えないわけではありません。

 さて、あなたにとっての、生きる最適化、とは何でしょうか。