2、経験の弟子「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

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 前回は、「全日空の尾翼マークに使われていた螺旋図」(右)のことから始まり、東ローマ帝国の滅亡(1453年)後の地中海世界に生まれたギリシア回帰の文芸復興運動(ルネッサンス)の象徴的存在、に至るまで、皆さんの記憶に残るさまざまなダ・ヴィンチを頂戴しました。お一人の受講生からは、ダ・ヴィンチの第一級資料ヴァザーリの『芸術家列伝』(中央公論社、pp.16-45+α)をいただきました。
ブノワの聖母子hermitage_1001
 今回は、エルミタージュ美術館でダ・ヴィンチの二つの聖母を見た方の話を受けて、皆さんと一緒にまずはロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に足を運んで、二つの聖母子『ブノワの聖母』(上)と『リッタの聖母』(右下)を見に行くことにしましょう。
エルミタージュ美術館見学記 https://www.youtube.com/watch?v=6BW93dsl91I

リッタの聖母子hermitage_1002

 前者はダ・ヴィンチが20代のときの作品、後者は40代のときの作品です。前回、お配りした塩野七生さんの言葉「絵を解釈することはしないでおく」との姿勢に共鳴して、あれこれは言わないことにしますが、みなさんが「あれこれ感じ、あれこれ言う」のはまったく自由です。

 参考までに、美術評論家・布施英利さんの「あれこれ」(『君はレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか』ちくまプリマー新書、2005.12)と、美術史家・池上英洋さんの「あれこれ」(『西洋絵画の巨匠⑧レオナルド・ダ・ヴィンチ』小学館、2007.2、pp.48-49、pp.66-67)を添付してあります。ご参照ください。
 
 次に、イタリア放送協会作成『The life of Leonardo DaVinci』(ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯、1972年)第一巻「誕生からミラノ出立まで」を、ご覧いただきましょう。ダ・ヴィンチを可愛がった自由人の祖父が、しつけに厳しい公証人とされていることなど、首をかしげたくなる場面もありますが、おおむねがヴァザーリの伝記に基づきながらヴァザーリの間違いを糾すなどの姿勢で構成されています。今後も、テレビなどの放映作品をそのつど上映させてもらうことになりますが、この種の映像は「わかった気にさせる」可能性がありますので、くれぐれもご注意のほどを。
 
 さて、初回に少し触れましたが、この講座の第一の眼目は、レオナルド・ダ・ヴィンチの肉声に耳を傾けて、「人間ダ・ヴィンチの本質」と「その創造の秘密」に迫ることにあります。まずは、彼の手記を紐解いて、その序の冒頭に書かれた言葉に注目したいと思います。
 
 「私が学者でないから、ある威張り屋は私のことを文字を知らぬ人間だと断ずればそれだけで私をもっともらしく非難できるとお考えのようであることを私は十分承知している。馬鹿な連中だ!…かれらは、私が文字を知らないから自分の取り扱おうとするところを十分表現なしえないというだろう。いやはやこの手輩、私の仕事が他人の言葉よりも経験から引出されるべきことをご存知ないのである」
 (1508年3月22日。『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫、pp.19-20)
 
 そして、次の有名な言葉が続きます。この意味をご一緒に考えてみたいと思います。
 
 「経験の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ」(同p.21)