2の付記 「それであるところのもの」とイデア

 受講生のお一人から「『パイドロス』に、プラタナスπλάτανοςの木陰でソクラテスとパイドロスが対話するシーンがあるが、プラタナスはプラトンの名から来ているのでは?」との質問が出ました。プラタナスの語源は、ギリシア語のπλατύς(プラトゥス:幅広い、広々とした、広く散らばった、肩幅の広い)に由来し、大きな葉の意味から来ているそうです。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、プラトンの本名は祖父の名由来のアリストクレスであり、「プラトン」はあだ名であって由来は諸説あるが、一つは「額が広い」ことから来ている(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(上)』(加来彰俊訳、岩波文庫、252ページ)そうで、ご推察通り、プラトンとプラタナスは共通の根っこを持っていますね。

 「『国家』を読んでいて、ソクラテスは随分と人間臭い人だと感じている。善と悪が薄い一枚の裏表になっているような、そんな人なのではないか」とある受講生が、ニーチェを思わせるソクラテス観を披露してくれました。ニーチェは、ソクラテスのことを「怪物」と表現しています(たぶん、『人間的な、あまりにも人間的な』)。

 前回は、模倣(真似)のことで大きく盛り上がった感があります。「本当のオリジナルって、ないのではないかな。芸術は何らかの形で、それまでの人たちの模倣と言ってよいのでは」。「模倣と剽窃の違いを認識することが大事ではないか。歌舞伎などは、型に近づこうと型の持ち主の模倣から入る」。「それであるところのもの、とは何なのでしょうか。料理をレシピで作るとします。レシピを真似して出来上がったとき、それは、それであるところのもの、なのでしょうか」「レシピの真似は剽窃、のほうじゃないか」「日本は真似によって経済的繁栄を遂げてきたが、いまや行き詰まりを見せている。未来に向けた、新しい政治や経済の型を創造することが、いまや求められているのではないか」。

 さて、議論のあった「それであるところのもの」とは、プラトンのイデアに通じる究極の「型」なのではないでしょうか。レシピにからめて、ここでは、話題の旭酒造の酒「獺祭」を例にとりましょう。

 経営が傾いて杜氏に見限られた山口県のこの酒蔵は、杜氏と蔵人による伝統的な酒造りをあきらめ、「社員だけの酒造り」という新しい発想の日本酒造りに挑戦しました。杜氏の感によって行われてきた醪(もろみ)を圧縮濾過して清酒と清酒粕に分離する作業に遠心分離機を導入し、さらに香りを逃がさないために冷温瓶方式も導入、明確な温度管理によって高度の機械化を実現したのです。

 手作業も大切にはしていますが、経験と勘に支えられてきた酒造りのレシピを、機械技術によるステップに置き換え、味のぶれない均質な人気商品を生み出すことに成功しています。旭酒造社長が抱いた「だれもが感じるおいしい酒」のイメージ、すなわち、イデアが、機械を動かすある種の「情報列」として現実化されたといってよいでしょう。
 
 AGTCの四つの記号からなる情報列DNAによって「存在化」され、コピー(複製)によって増殖する私たち人間は、どうなのでしょうか。情報列DNAは、人間作りのレシピ、すなわち人間を現実化する一つのイデアである、と言えることになりますか?