2,常識について小林秀雄と考えよう

<小林秀雄の哲学的開け>

 今回は、哲学がもたらす最大の効能である「世界の開け」についてお話を致しましょう。世界が開けるとは、ふさがっていた道の目の前が明るくなり、どこへ向かうべきかが明白になることです。

 前回、小林秀雄の『モオツァルト』(新潮文庫)を読んで、「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」(同書p.45)の言葉に感激し、弦楽五重奏4番ト短調k.516を聴くきっかけになったことを少しだけ書きました。

 実は、それ以後、私自身の目の前に「モーツァルト」なる道が開け、最大の活躍の舞台ウイーンはもとより、生まれ故郷ザルツブルクを皮切りに、母の生まれ故郷ザンクトギルゲン、父の育ったアウグスブルク、子ども時代から父と演奏旅行に駆け回ったパリやヴェネチア、大人になってからのロンドンなど、その足跡を追って、歩き回ることになったのです。

 モーツァルト関連場所巡りは、モーツァルトの音楽を使ってのオペラの開発を始めるまでになり、いまだにその熱が冷めていません。さてここで、私に「哲学的開け」を与えてくれた弦楽五重奏4番ト短調k.516を聴いてもらいましょうか。「涙が追いつけない悲しみ」を感じてもらえましたでしょうか。

 実は、小林秀雄自身が、モーツァルトの音楽によって、私と同じような「哲学的開け」を感じたのではないか、と思っております。その開けは、「或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」(同.p13)の表現で始まります。

 学生だった小林は関西にいた1年間ほど(昭和三年五月から四年春にかけて)を「放浪時代」と表現し、「人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬のようにうろついていた」(同)そうです。このト短調シンフォニーは「タララ、タララ、タララーラー」のあの有名な40番で、「街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った」「僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた」(同)と続けるのです。

 小林はこの体験を機にモーツァルトのことを調べ始め、戦後すぐの昭和21年7月にあの伊東の旅館にこもってモーツァルト論を書き進めていました。前回、紹介した、仲間の青山二郎に茶化され、涙をこぼすあのシーンへとつながるのです。

 『モオツァルト』は鬼気迫る作品で、その思い入れが私のような音楽音痴・モーツァルト初心者を取り込んで、私に「未来の新しい夜明け」を導いたと思っております。それに比べると、今回の課題「常識について」は、誰かに「開け」をもたらすものを含んでいるでしょうか。

 常識とは、英語でいう「common sense」、そのまま普通に訳すと「共通の感じ方」とでもなるでしょうか。日本語の感覚からすると、だれもが持っている知識、だれもが当たり前と思っていることで、「えっ、そんなことも知らないの?常識がないなあ」と言われてしまうような「事柄」と言えば、正鵠を得ていると思います。

<小林秀雄のデカルト論を糺す>

 小林の「常識について」によれば、アメリカにおいてジェファーソンが「独立宣言」を出す半年前に、トーマス・ペインが書いた「コンモン・センス」なる書籍があり、このコンモン・センスが下地になって、福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」のもとになった「すべての人間は生まれついて平等である」が生まれた、というのです(『考えるヒント2』p.188)。
 
 この万人平等感こそが、人々の中に存在している「コンモン・センス」すなわち「常識」であり、この感覚が実はデカルトの「方法序説」の中で、有名な「我思う、ゆえに我あり」を発見する原理になった、とするのが小林秀雄の解釈みたいですね。デカルトを登場させてからは、この「常識について」の話は「小林秀雄のデカルト論」として延々と展開して行くことになります。つまるところデカルトの「理性」(リーズン)はペインの「コンモン・センス」につながるーが小林秀雄の見立てであり、この理屈から言えば「常識=理性」ということになるわけです。
 
 しかし、小林のデカルト論は、まったくの的外れです。人間には等しく真理を見通す力「理性」があり、神から独立して万有を見通すことが出来ることを宣言したのがデカルトの最大の功績なんです。当時は万有を見通すことが出来るのは神だけであり、人間はその神の教えを学問化した「神学」の教えに従っていました。真理は神の中にあることは神学の「常識」であり、人々はそれが「常識」である、と教えられている世界に存在していたのです。

 しかし、現実の社会は神学の教えのとおりになっていないことも、人々は日常の生活のなかで感じていました。小林が紹介している「世間という大きな書物のうちに、見付かりそうな学問以外の学問は、求めないと決心した」(同p.195)デカルトの決断は、神学的書物の知識が常識化し、そこから縛られて自由になれない現実への批判だったのです。

 「方法序説」をフランス語で書いたのも、ラテン語で書く学者たちの論文が、いつのまにか「ラテン語」なる古の言葉に縛られて、自由を失っていることに気づいたからです。世間とは、今ある現実、であり、そのなかからデカルトは「神がいなくとも考えている自分がある」ことから、「我思う、ゆえに我あり」を第一原理として、神から離れた個々の人間の存在そのものを第一原理としたのです。
 
 デカルトが言いたかったのは、「常識の縛り」から抜け出せ、ということにほかなりません。このところしきりにテレビで宣伝している「ちいさなお葬式」というコマーシャルがあります。外国人が「日本のお葬式はおかしい。同じような規模なのに料金が違う。同じお葬式なら同じ料金でいいのではないか」と疑問を呈します。日本型葬式の「常識」を逆手に取って、他との違いを際立たせるPR法ですが、畠山さんは「葬式を立派にするか、簡素にするかは各人の自由だ。一律にしようとするほうがおかしい」と異を唱えています。
 
 ちなみに後半部分で孔子が「中庸」について、「中庸は常識だから、だれでも知っているわけだが、一と月もこれを守れる人がいない、不思議な事だ」と小林秀雄が翻訳(同p.231)していますが、「中庸=常識」ではなく、常識に潜む隠れた「理の力」に私たちが気づかないことを、孔子は指摘しているのです。