2,科学を芸術家の観点で見ること、そして…

 前回、皆さんからニーチェから浮かぶ言葉として、「陶酔」「形而下」「産業革命」があげられました。「陶酔」は非科学の非合理な世界、「形而下」は生きている現実の世界、そして1760年代にイギリスで始まり、ドイツを含めた欧州各国にも工業化による急速な成長をもたらした産業革命は、言うまでもなく科学に支えられた技術の発達によるものでした。

 ニーチェは『悲劇の誕生』執筆にあたって「つかまえた」のは「何か怖ろしく危険なもの、いわば角のある問題」であり、「それは科学そのものの問題だった」(同p.12「自己批評の試み」二)と述懐しています。

 ドイツはイギリスに遅れること80年の1840年代になって、ようやく産業革命に足を踏み出しました。しかし、『悲劇の誕生』を執筆した1872年は、ウイーンの株式取引所から始まる世界経済恐慌が勃発(1873年5月8日)した前年であり、ドイツもまた工業化による繁栄から足を踏み外す寸前でした。

 ニーチェはこの1872年において、「科学の奥伝の伝授者」(同書p.166)とソクラテスを名づけ、「ソクラテスのうちに世界史の一つの転回点と渦巻を見る」と、『悲劇の誕生』に次のように書き込んでいます。

 「教養世界のきわめて広い範囲にこれまで予想もせられなかったほど知識欲が普及した結果、科学は檜舞台に押しあげられ」「普遍化した知識欲のおかげで、思想の共通の網が全地球の上に張りめぐらされ、それどころか全太陽系に及ぶ法則さえも打ち立てることができると見こまれることになったこと」「これらすべてのことを、現代の驚くばかり高い知識のピラミッドとともに思いうかべるひとは、ソクラテスのうちにいわゆる世界史の一つの転回点と渦巻を見ないわけにはゆくまい」(同書十五 理論的人間と悲劇的認識 p.167)

 ニーチェが続けて、次のように書く時、あたかも現代のウクライナの悲劇を暗示しているように思えることは、驚異と言って良いのではないでしょうか。

 「こういう世界的傾向のために費やされた莫大な量の力が、…利己的な目標にふりむけられたと仮定してみれば、たがいに血で血を洗うことになり…同情から民族を大量に殺害するといった戦慄すべき論理をさえ生み出しかねない極端な実践的厭世主義が起こってくるのである」(同pp.167-168)

 「当時の私の青年らしい血気と邪推のはけ口になった本」「まことに青年らしからぬ課題から、なんというやりきれぬ本が育つ羽目になった」とまで断じるニーチェは、「科学の問題は科学の地盤では認識されえない」として、「分析的で回顧的といった能力を兼ねそなえた…例外種の芸術家たち…)のための本」(p.13)とまで言いのけるのです。

 「例外種の芸術家たち」とは、言うまでもなくニーチェ本人のことにほかなりません。

 「あの向こう見ずな本」(p.14)とまで呼ぶ『悲劇の誕生』が「初めて肉薄した課題」すなわち「科学を芸術家の観点で見、他方、芸術を生の視点で見る」(p.14)が、皆さんのあげたキーワード「陶酔」や「形而下」とどう関わりを見せて行くのか、次回以降の展開が楽しみですね。