2,超超マイノリティな若者

 前回は、新しく講座に来られた3人が、「自分探し」を目的としていると感じられ、我が意を得たりの思いです。「私とは何者なのか」―が、私の講座の趣旨だからです。データ主義による社会改革を試みようとしている成田悠輔氏の著作を取り上げたのも、データのなかに「私自身」はいかに反映され得るのか、を意識しているからにほかなりません。

 前回のテーマ「民主主義は劣化しているか」については、世界の情勢を見る限り、すでに当然のことと受け取られていると思います。日本の民主主義の劣化を表す指標として成田氏が挙げているのが、民主主義の最大の道具「選挙」が、機能していないのではないか、ということでした。

 一般にそれは、若者が「選挙に行かない」ことに現れている、とされていますが、2021年の衆議院議員選挙における30歳未満の若者の割合はわずか8・6%に過ぎず、しかも20~30代の若者の自民党支持率は60~70代とほとんど変わらない現実をみると、若者が選挙に行ったところで日本の政治を変えることはあり得ないーが、成田氏のデータ分析の結論です(成田悠輔『22世紀の民主主義』pp.5-6)。

 しかし、成田氏は同じ書籍のなかで、たぶん同僚であるイェール大学教授の歴史学者ティモシー・スナイダー著『暴政-20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会)を引用し、「個人的なもの」が、政治を変えていく力ではないか、と指摘していることに注目したいところです(同p.26)。「政治の下に巨大な氷山」とも言うべき「無名で素人の個人たちの感情と生活」が存在しており、そこに目をむけよ、と言うのです。この発言は、同氏のデータ主義とは相反する、のではないでしょうか。

 スナイダーは、権威主義やファシズムに民主主義が翻弄された20世紀の歴史から学ぶものとして、「忖度による服従はするな」「自分の意志を貫け」「他の国の仲間から学べ」「真実があるのを信ぜよ」「勇気をふりしぼれ」「リアルな社会で政治を実践しよう」など、20の行動要素をあげています。その内容は、まさにデータという乾いた数字ではなく、政治を変える力を個人の行動に求めるものです。

 映像などを「倍速」で見ることが当たり前になり、「コスパ」(コストパフォーマンス)よりもむしろ「タイパ」(タイムパフォーマンス)に縛られ、「時間に追われる感覚」を持つ人が7割に近づいています。とくに若い人たちの「日頃の行動を、今より高速化したい」と考える割合が20代で70.5%、30代で66.7%にも上っているのです(「もっと速く、もっと多く、もっと効率よく、行き着いた『タイパ社会』2022年12月27日朝日新聞」)。

 SNSのような個人メディアを使わないとする俳優・池松壮亮(いけまつ・そうすけ)さんの生き方(「倍速社会の『分断』を乗り越えたい 池松壮亮さんがSNSをしない理由」(2023年1月4日、朝日新聞)は、タイパ社会の高速化による社会の分断化の中で、スナイダーが挙げている「他の国の仲間から学べ」が、「池松個人」の中で現実化しているのを感じます。

 「リアルな社会で政治を実践しよう」の例として、徴兵を逃れるためにロシアから出て、韓国の仁川空港で寝泊まりしている若者の姿も紹介しましょう(ユーチューブ)。彼の行動は、やはりスナイダーがあげる個人の実践による政治変革の可能性を感じさせるものです。