3、『遠野物語』の事実性と小説性ー三島由紀夫の遠野論

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 三島由紀夫は『遠野物語』を激賞しています。それも二度までも。一度は、1970年6月12日の『読売新聞』で、今一度は『波』に連載した「小説とは何か」(1968年5月号ー1970年11月号)です。『波』のもの(9章)は、たぶん、読売新聞に書いた直後に、加筆・修正したものでしょう。興味深いのは、このふたつの柳田論で、焦点を一見対立すると言ってもよいところに置いていることです。読売新聞では「ファクト」に、『波』では「フィクション」に、です。

 三島は、「柳田国男『遠野物語』名著再発見」のなかで、「柳田氏の学問的良心は疑いようがないから、ここに収められた無数の挿話は、ファクトとしての客観性に於いて、間然とするところがない。これがこの本のふしぎなところである」「どの話も、真実性、信憑性の保証はないのに、そのように語られたことは確かであるから、語り口、語られ方、その恐怖の態様、その感受性、それらすべてがファクトになるのである。ファクトである限りでは、学問の対象である」(東雅夫編『三島由紀夫集 雛の宿』ちくま文庫、pp.246-247)と書き、『遠野物語』に描かれた世界の事実性・真実性を指摘しているのです。

 ここで三島が例としてあげているのは、「昔の人」に分類されている11話の、嫁と折り合いの悪い母が息子に殺される話です。その家は母一人、子一人の家で、実家へ帰りがちの嫁がたまたま家でふせっているとき「昼の頃になり突然と倅の言ふには、ガガ(母)はとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大いなる草刈鎌を取り出し、ごしごしと磨ぎ始めたり」と話は展開し、泣き叫ぶ母や、制止する嫁も構わずに、倅は母を大鎌で切り殺してしまうのです。いかにも鬼気こもる話ですが、警官がきて倅は捕らえられますが、狂人として放免され、「今も生きて里にあり」で結ばれています。

 これに対して、 『波』では22話の「魂の行方」に焦点があてられ「『あ、ここに小説があった』と三嘆これ久しうした」と、そのフィクション性に賛嘆しています(同書335-336、新潮版『遠野物語』p.140-141)。22話は、語り手の佐々木喜善の曾祖母にまつわる話で、亡くなった晩、寝静まったあと祖母と母が囲炉裏の両側に座って火の番をしていました。「母人は傍らに炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。…あなやと思う間も無く、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取りにさはりしに、丸き炭取りなればくるくるとまはりたり」とあり、三島はこの炭取りがくるくるまわるという描写に「『あ、ここに小説があった』と三嘆これ久しうした」というのです。
 
 事実を重んじる新聞への寄稿とはいえ、「語られたことは確かであるから、…それらすべてがファクトになる」との論法は詭弁じみていささか無理がありますね。ただ、ファクト性と小説を思わせる文学性が混在しているところに、『遠野物語』に奇書的な魅力を与えているのは間違いないかもしれません。
さて、みなさんは、三島のどちらの視点に組しますか。