3、ケルビーノは若きドン・ジョヴァンニ?
漫画家の手塚治虫は、モーツァルトの『フィガロの結婚』のケルビーノが、『リボンの騎士』のモデルだった、と書いています(手塚治虫『マンガ音楽館』ちくま文庫、p.328)。では、そのケルビーノは、誰がモデルなのでしょうか。作家の河上徹太郎によれば、モーツァルト自身だと言います。河上は次のように書いています。
「モーツァルトの数多くの少年時代の肖像の中に1762年6歳のものがある。リラ色の上衣は金糸で縁どられ、得意気に、さりとて傲慢な気取りも神童的放心もなく、満ち足りた顔をした、豊頬の少年紳士である。これを見ても、彼の肖像は年少のもの程個性がハッキリし、従ってませている。ケルビノはこの少年が成長し、類型化し、自ら思い上がったものである」(河上徹太郎『ドン・ジョヴァンニ』講談社学術文庫、p.53)
もっとも河上の見方は、キルケゴールの『ドン・ジョヴァンニ』論をそのまま踏襲したもので、アイデアの元はキルケゴールから来たものです。キルケゴールは、「愛(恋)の形」(情欲・欲念・欲望などと普通は訳されますが…)を三段階に分け、モーツァルトの三つのオペラ『フィガロの結婚』『魔笛』『ドン・ジョヴァンニ』の登場人物にその形が典型的に現れている、と考えました。
第一段階は「夢見る愛(恋)」で、『フィガロの結婚』のケルビーノを代表とします。第二段階は「目覚めた愛(恋)」で、『魔笛』のパパゲーノに典型的に現れています。そして、第三段階が「究極の愛(恋)」で、『ドン・ジョヴァンニ』の主人公そのものに現れている、というわけです(キルケゴール『あれか、これか』キルケゴール著作全集第一巻、創言社、p.106-117)。そして、ケルビーノは若きドン・ジョヴァンニだというわけです。
なんとなく納得してしまう、うまい分類だとは思いませんか。ケルビーノの二つのアリアは、ダ・ポンテの詩だけでも、「夢見る愛(恋)」にピッタリな感じがします。では、聴いてみましょう、見てみましょう。
「自分で自分がわからない」
自分で自分がわからない
火のように燃えては冷め
女と見れば顔は赤らみ
胸は高鳴る
愛という言葉ひとつに
僕の心は乱れ
なぜかわからないけれど
恋を語らずにはいられなくなる。
…
「恋とはどんなものかしら」
恋とはどんなものなのか
御存じの ご婦人方…
ご覧いただけましょうか
僕の心に恋があるかどうかを
僕が感じていることを
申し上げようにも
初めてのことなので
わからないのです。
…