3、ダリを織り込む

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 さて今回は、『ダリ流ガウディ讃歌―モダンスタイルの建築における身の毛もよだつ可食的な美について』(サルバドール・ダリ『ふしぎの国のガウディ』エクスナレッジ、pp.316-330)のダリのガウディ讃歌を、その結論「美とは食べられるものであるか、さもなければ存在しないだろう」(p.330)に同意できるか、皆さんのご意見を伺うことにいたしましょう。

 「まさしく超彫刻的な彫刻。水、煙、結核前期や夢精時の虹の輝き。女ー花ー皮膚ーペヨーテー宝石―雲-炎ー蝶ー鏡。ガウディは、ある嵐の日の波のかたちを(表そう)として、海のかたちに倣って家を建てた」
「それは現実の建物、水に映る黄昏時の雲をかたどった本物の彫刻、色とりどりにきらめく巨大で突飛なモザイクによって可能になった点描の虹色の輝き、そこから立ち現れる広がった水のかたち、広がりつつある水のかたち、よどんだ水のかたち、鏡のようにきらきら光る水のかたち、かぜにちぢれた水のかたち」(pp.326-327)
 と、ガウディが表現しているのは、まさしくバルセロナ・グラシア通りの一角に建てられた共同住宅カサ・ミラでしょう。

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 サグラダ・ファミリアに象徴されるように、ガウディは自らが作り上げる建物を、神へと至る空間、あるいは贖罪の場所、だと考えていました。カサ・ミラもガウディは「聖母マリアの記念碑と」考え、三階の一住戸の子ども部屋の天井には「ああ、聖母マリアよ、かくも小さきことに悲しみ給うことなかれ、花々も星も小さきものなれば…」とカタロニア語で記しているぐらいです(入江正之『図説ガウディ』(河出書房新社、p.69)。

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 その聖なる空間をダリは、「あらゆる水のかたち」が、「恐怖の分厚い突起によって不純で冒涜的で風変わりな収束に具現化され、気も狂わんばかりの苦痛、潜伏した限りまなく優しい静けさにいちどきにねじ曲げながら、あの信じがたいファサードから湧き出してくる」と表現し、「血のしたたるトロリと柔らかなよくねかせた肉のスープーですくって食べられるほどに熟した最盛期のぞっとする腫れ物の静けさ以外、匹敵するものもない静けさだ」(p.327)とまで言い切るのです。

 ダリは、グエル公園四柱廊の一つの鉄扉に装飾された鉄版を「牛の肝臓」とも表現しています(入江正之『図説ガウディ』pp.92-93)。神とともにあることを心情としたガウディが生きていたらダリにどのような反応をしたでしょうか。

富士山 船津胎内樹型

 むしろ、ガウディは、富士山の麓にいくつもできている「胎内樹型」に共感したのではないかと思います。熔岩によって生まれた空洞は、溶け落ちた樹木が恐竜の肋骨のように感じさせ、生命体の内部に自分がもぐりこんでいるかのような感覚があります。自然を模したガウディは、生命の外を内をその建築によって表した、稀有な存在だった、と思うのです。それは超現実ではなく、むしろ生命という現実の、正確な模写なのではないでしょうか。

 さて、みなさんはガウディをどのように見ていますか。