3、ロンドン郊外で初めての交響曲を書く

床屋、カズン宅

 今回は、モーツァルトがロンドン郊外チェルシーで作曲した、始めてのシンフォニー「変ホ長調1番k.16」を中心に、お話を進めていくことにいたしましょう。1764年4月14日にパリを発ったモーツァルト一家は、カレーで始めて海の満ち干を味わい、船酔いに苦しみながらもドーヴァー海峡を無事渡り、イギリスに到着、4月23日にロンドンにやってきます。最初に居を定めたのは、セシルコート9番の床屋、カズン宅でした。
バッキンガム宮殿 
 4月27日には、早くもバッキンガム宮殿に招かれ、モーツァルトと姉のナンネルが国王ジョージ3世と王妃シャーロットの御前で演奏する栄誉に浴します。父・レオポルトが「お二人の親しいご関係やお二人の親切なお人柄は、私たちにはこれが英国の国王であり王妃であるとはとても思えないものだったのです」と家主ハーゲナウアーあての手紙(5月28日)に書いているほどの厚遇でした。

 8日後に一家がセント・ジェイムズ・パークを散歩しているとき、国王と王妃の馬車とすれ違いました。「お二人は私どもにお気づきになられ、ご挨拶下さったばかりか、国王は窓をおあけになり、お頭を外に出してお下げになり、うなずかれ、お手をお振りになり、通りすぎていらっしゃる際に、なかでもわれらが巨匠ヴォルフガングに笑みをうかべて挨拶して下さいました」(同手紙)と書くレオポルトの満面の笑みが浮かんできますね。
 
 6月5日には、セント・ジェイムズ・スクエア近くのスプリング・ガーデン大ホールで「自然の驚異たる11歳のモーツァルト嬢ならびに7歳のモーツァルト氏のために」声楽ならびに器楽の大演奏会が開かれます。切符は1枚半ギニーで、一家の居住していた床屋のカズン宅が販売所でした。すべての外国大使とすべてのイギリスの名家の人々が来席したというこの演奏会は大成功に終わり、「私は3時間で100ギニーの金貨を手にするという驚きを経験しました」と、レオポルトは興奮気味に家主宛の手紙に書いています(6月8日)。

 ギニーは1813年ごろまで、イギリスで発行されていた通貨単位で、1ギニー=21シリング=1.05ポンド、現在の日本円に換算すると5万円ぐらいでしょうか。レオポルトは、3時間で500万円稼いだことになり、これは彼の年収450万円(450フローリン。1フローリン~1万円換算)を越えるものでした。

チェルシーのランダル博士宅 

 順調な出だしだったロンドン生活も、モーツァルトが病気になり、次にはレオポルトが病にやられ、8月6日に療養のために転居したのがテームズ河湖畔の保養地チェルシーにあるランダル博士宅でした。ここでモーツァルトが書いたのが、「変ホ長調1番k.16」「ニ長調4番k.19」の二つの交響曲(いずれも3楽章)です。

第一交響曲作曲の銘版

 ヨハン・クリスチャン・バッハの影響を受けながら、アインシュタインによれば、1番には「ジュピター・シンフォニーにいたるまで、楽想案出の原理として用い続けた冒頭のフォルテとピアノの二元性(フォルテに始まり、ピアノが続く)」がすでに見られる、と言います。

 1番、4番、帰途のハーグで作曲した変ロ長調5番k.22、そしてロンドンを発つ(1765年7月24日)寸前に作曲された四手のためのピアノソナタ「ハ長調k.19d」も聴いてもらいましょう。