3、下にいらっしゃるのが、どなたかご存知?

                    (『旅の日のモーツァルト』pp.35-46)

 メーリケの『旅の日のモーツァルト』のなかで、伯爵家に招待されたモーツァルトが、演奏した協奏曲(「純粋な美がふと気まぐれのように、進んで優雅さに仕えるのだが、しかしそれはその純粋な美がいわばむしろ奔放に戯れる形式に包まれ、眩いたくさんの燈火にかくれている」と、メーリケが形容した曲)は何だと考えられるだろうか。プラハ行が1787年秋であることから、1785年から1786年にかけての連作『22番変ホ長調k.482』『23番イ長調k.488』『24番ハ短調k.491』、それに次ぐ25番ハ長調k.503(1786年12月4日)、のどれか、と考えたいところだがどうだろうか。
 アインシュタインの評価を参考までにあげておこう。彼は、22番と23番は、モーツァルトが「自分はあまり行きすぎをやった、ウイーン人にあまりにも多くの理解力を期待しすぎた、(社交的なもの)の限界を踏み越えてしまった、と感じていたかのような印象を与える」とし、「聴衆の愛顧が自分から去ったと感じ、成功確実な作品と関係のある新作によって、再び愛顧を取り戻そうとした」と述べている。とくに22番変ホ長調は、二台のピアノのためのコンチェルト(k.365)とコンチェルトk.271への「一つの帰還である」と指摘する。わかりやすく言えば、自分の曲が聴衆の好みからずれてきていることに気づいたモーツァルトが、聴衆に媚びた形の昔風の“華やか”な曲へと戻した、ということである。実際、22番は予想以上にウイーンの聴衆の心をとらえ、とくに第二楽章のアンダンテは何度もアンコールされることになった(父・レオポルトから姉・ナンネルへの手紙。1786.1.13)。
 悪く言えば聴衆に「媚び」を売った22番(アインシュタインは「品位を落とした」と表現している)に対して、23番は「自分の品位を落とさずに、再び聴衆の意を迎えることに成功した」のだという。「教会の多彩なステンド・グラスの透明さの調性」であるイ長調を主調に選んだこの曲のまとめかたは「まるで魔術師」であり、終結楽想にまで中断されることなく続く旋律とリズムの流れの明朗さには、なにか抗しがたいものがあり」「まるで新鮮な風と陽光がさっと、うつとおしくて暗い部屋のなかへと流れ込むような感じである」と、アインシュタインは言い切るのである。そして、クラリネットの奏でるニ長調の非主題的旋律のなかでは「世界が平衡を保ち、世界秩序が是認される」と結ぶ。23番の第一楽章とクラリネット五重奏曲(k.581)の間の関連も、アインシュタインは指摘しているが、確かに二つの曲の冒頭に私たちは一つの類似性を感じるだろう。
 「この曲の熱情は(20番)ニ短調コンチェルト(k.466)のそれよりも深い」と評される24番ハ短調は、ベートーヴェンが感嘆し、その第一楽章第一主題を彼自身のピアノ協奏曲第3番ハ短調(op.37)に借用している。25番ハ長調k.503(1786年12月4日)は、「壮麗なしめくくり」であり「モーツァルトはコンチェルト制作の偉大な時期を、(これ)によって閉ざした」と評される。続く26番ニ長調<戴冠式>k.537と26番変ロ長調k.595は、「いわば片手間仕事で、もはや根源的な創造活動の産物ではない」のだという。