3、人類に問われる最大の二律背反―「宇宙進出」

 前回は、日野原重明さんの『いのちの哲学詩』を題材に、偶然の出会いが生み出す、輝ける「未来」の予感、を内在した言葉「邂逅」をめぐって、刺激的な話を皆さんから頂戴しました。

 「邂逅が生み出す未来は、私たち受け手の中に、日野原さんの言葉を借りればレセプターがないと、開けてきません。病後にスピノザの魅力に惹かれて、NHKの100分で名著のスピノザを読んでいた私は、この講座でやはりスピノザに惹かれていた方の存在を知りました。この素晴らしい邂逅に感謝します」
 
 「若いころ、竹橋の近代美術館で、日本画家・靉光(あいみつ)の作品『眼のある風景』に出会ったとき、一瞬で凍り付きました。以来、心に刻まれたその風景が自分の画家としての原点になっています」。

 新型コロナウイルスによる「新常態」は、経済優先か人命優先か、の二者択一を迫っています。これは、「あっちをたてればこっちが立たず、こっちを立てればあっちが立たず」のカントのいう「二律背反」(アンチノミー)の様相を呈しています。

 宇宙飛行士・土井隆雄さんは、お配りした資料「宇宙・生命・無限」で、人類が宇宙に進出する時代の学問として、「有人宇宙学」を提唱しています。イーロン・マスクが火星に向かっての計画を着々と進め、アメリカも国として再び月面居住の計画を打ち出すなど、人類が地球を越えて宇宙の一角に居を構える日がやってこようとしています。
 
 人類の宇宙進出を、土井さんはかつて安全な森で生活していた人類の祖先が、まったくの無防備状態に陥るサバンナへ進出したことに重ね合わせています。ある意味での無手勝流が、逆に今日の人類の繁栄につながった、と考えるのです。

 自ら招いた生態系の危機をはらんでいるとはいえ、豊かな水と緑に支えられて多様な生命を育んできた地球から、「何も無い」宇宙へと進出しようとする人類の姿は、土井さんのいう太古の人類が森からサバンナに進出しようとした姿と、重ね合わせるのは極めて自然な気がします。それは「生か死か」の二律背反を抱えた状態での決断だったに違いありません。

 カントの二律背反論は、どちらの道を選択しても、「是(正しい」」と証明のできる、2つの立論のことです。時空は「無限」なのか「有限」なのか、「神はいるのかいないのか」、など、4つの立論をカントは立てています。森林から出た太古人類が、サバンナへの進出を選んだのは、二律背反を解決する手段の一つです。受講生の方々が示してくれた他者との偶然の「邂逅」によるある種の「凍結した時間」体験は、二律背反から脱出するもう一つの道、を示唆しているように思います。

 それは、矛盾した状態を第三の道へと導くヘーゲルの言う「止揚」(アウフヘーベン)を思わせ、「生か死かそれが問題だ」の二律背反的ハムレットの煩悶を、私たちが常に内在させていることも示唆しています。

 宇宙に進出すべきか、地球に留まるべきか、の二律背反的解決を迫られている今、たとえばスピノザや靉光(あいみつ)は、どのような「いのち」の使い方を示唆しているのか、皆さんそれぞれの「邂逅」を通じて、ご一緒に人類の生きる道を考えてみましょう。